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日本铁道简介(日语资料)(来自日本百科事典)

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 楼主| 发表于 2007-1-7 18:07 | 只看该作者
名鉄岐阜市内線 Encyclopedia
   

岐阜市内線 新岐阜駅前駅とモ780形


岐阜市内線 徹明町駅とモ770形
岐阜市内線(ぎふしないせん)は、岐阜駅前駅から忠節駅まで、および徹明町駅から長良北町駅までを結んでいた名古屋鉄道の軌道線である。全線が岐阜県岐阜市内を走行していた。2005年4月1日に全線が廃止された。
目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 歴史
5 駅一覧
6 接続路線
7 関連項目




路線データ
※特記なければ路線廃止時点のもの。

路線距離(営業キロ):
岐阜駅前~忠節間 3.7km (2005年廃止)
徹明町~長良北町間 3.9km (1988年廃止)
軌間:1067mm
駅数:20駅(起終点駅含む)
複線区間:全線複線
電化区間:全線電化(直流600V)

概要
岐阜市街地内を走る路面電車で、全線が道路上を走る併用軌道となっていた。JR岐阜駅北口から名鉄岐阜駅の西側を経て、徹明町~千手堂間は徹明通り、千手堂~忠節間は忠節橋通りを通っていた。

このうち岐阜駅前~新岐阜駅前間は、主要地方道岐阜停車場線の整備に伴い、2003年12月1日から廃止日前日の2005年3月31日まで休止されていた。なお、新岐阜駅は2005年1月29日に名鉄岐阜駅と改称されたが、新岐阜駅前停留場の名称は変更されなかった。

車社会の進展などの理由で、岐阜市は長年市内線に敵対的であった。市議会は1967年に路面電車廃止決議を可決させた。その後、全国的には路面電車の再評価がされるようになったが、岐阜市議会の決議は現在でも有効である。車優先の意識が強く、また道路が狭いことから、通常は道路交通法で禁止されている軌道敷内の自動車の通行が許されている。このため交通渋滞に巻き込まれて電車が岐阜駅前停留場まで行けず、新岐阜駅前停留場で運転が打ち切られることがしばしばあった。また、やはり道路が狭いことなどを理由に、岐阜駅前停留場を除き、停留場の安全地帯を設置できず、乗降客は常に自動車の危険にさらされた。

かつて、岐阜市内線の一部として徹明町停留場から長良橋通りを北上し長良北町停留場に至る通称長良線が走っていたが、ぎふ中部未来博覧会開催の際に交通の邪魔になるという理由で、1988年に廃止された。岐阜市の車優先行政は一貫していたと言えよう。このほか、長良北町駅からは高富線、千手堂駅からは鏡島線が延びていたが、いずれも1960年代に廃止されている。

その後も利用客の減少に歯止めがかからなかった。乗り入れする末端区間の廃止(1999年4月1日美濃町線新関~美濃間、2001年10月1日谷汲線全線、揖斐線本揖斐~黒野間)が続く一方、1997年にはモ780形、2000年には美濃町線系統にモ800形と、相次いで600V線区用の新車を投入。サービスの向上を図った。しかし、2003年1月24日、ついに名鉄は600V電化区間からの全面撤退に向け周辺自治体と協議すると表明。岐阜市はようやく存続の可能性を探るため、10月14日から、「路面電車交通社会実験」を行った(~11月28日)。主要停留所に仮設の安全地帯を設置し、軌道敷内の自動車通行を禁止することで、利用者がどれだけ増えるかを見極めようというものだった。しかし、利用者には好評だったが、その減少を止めることはできなかった。また、ドライバーからは渋滞を招くとの不満もあがった。さらに、岐阜県警は安全地帯設置、軌道敷内自動車通行禁止のいずれも消極的だった。(仮設の安全地帯は実験終了後、撤去された)

この結果を受け、2004年に名鉄は岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の600V電化区間について運営撤退を正式に表明。軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を同年3月に提出し、2005年4月1日に廃止された。

名鉄の廃止表明を受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について検討を行なった。一時は、岡山電気軌道が支援検討を表明していたが、2004年7月27日、岐阜市長は利用客減少や財政難などを理由に存続断念を発表した。その後もフランスの交通会社コネックスが岐阜市内の公共交通への参入希望を示しているなどの動きがある。しかし、廃止路線の譲渡はできないので、復活する場合は新規に軌道法による特許を取る必要がある。

2005年、関市でイオンなどが入居するショッピングセンターを運営するサンストラッセが600V電化区間への参入を表明した。


運行形態
廃止前時点で急行と普通列車の全列車が揖斐線と直通運転を行っていた。急行は昼間時間帯に運転され、岐阜市内線内は各駅に停車していた(かつては岐阜市内で隔駅停車)。ワンマン運転を実施していた。


歴史
美濃電気軌道によって、後の長良線の一部を含む柳ヶ瀬(のちの岐阜駅前)~今小町(のちの大学病院前)間が1911年に開業したが、忠節方面へは1925年になってから開業した。

岐阜駅前停留場付近は岐阜駅や新岐阜駅の移転などにより何度か付け替えられ、忠節駅付近も揖斐線忠節駅移転により細かい延伸を繰り返している。

1911年2月11日 美濃電気軌道が柳ヶ瀬(のちの岐阜駅前)~今小町(のちの大学病院前)間を開業。
1911年10月7日 今小町~本町間が開業。
1912年8月28日 本町~長良橋間が開業。
1913年8月21日 国鉄岐阜駅移転に伴い、駅前(現在の岐阜駅前)停留場を移転。
1915年11月20日 長良橋~長良北町間開業。長良軽便鉄道(のちの高富線)と接続。
1925年6月1日 徹明町~千手堂間が開業。前年開業の鏡島線と接続。
1925年12月11日 千手堂~忠節橋間が開業。北方線(現在の揖斐線)とは徒歩連絡。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。岐阜市内線となる。
1930年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更。
1948年8月1日 揖斐線忠節駅の移転に伴い、忠節橋停留場を忠節駅前の現在の早田停留場の場所に移転。
1952年5月1日 岐阜駅前停留場を移転。
1953年7月1日 忠節橋(現在の早田)~忠節間が開業。
1954年12月21日 揖斐線が経路変更され忠節駅で接続。
1967年12月17日 揖斐線直通の急行を運転開始。
1988年6月1日 徹明町~長良北町間3.9kmが廃止。
2003年12月1日 岐阜駅前~新岐阜駅前間が休止。
2005年4月1日 岐阜駅前~忠節間3.7kmが廃止され全廃。

駅一覧
岐阜駅前~忠節間(2005年廃止)
岐阜駅前駅 - 新岐阜駅前駅 - 金宝町駅 - 徹明町駅 - 金町駅 - 千手堂駅 - 本郷町駅 - 西野町駅 - 早田駅 - 忠節駅
徹明町~長良北町間(長良線、1988年廃止)
徹明町駅 - 岐阜柳ヶ瀬駅 - 市役所前駅 - 大学病院前駅 - 伊奈波通駅 - 本町駅 - 材木町 - 公園前駅 - 長良橋駅 - 鵜飼屋駅 - 長良北町駅
※駅名は廃止時点のもの
※軌道上の駅は、安全地帯やホームのないものに対して、実際は『駅』と称さずに『電停』と称していた。
※岐阜駅前~新岐阜駅前間は2003年から休止中

接続路線
岐阜駅前駅:東海道本線・高山本線(岐阜駅)
新岐阜駅前駅:名鉄名古屋本線・名鉄各務原線(名鉄岐阜駅)
徹明町駅:名鉄美濃町線 (新岐阜駅でも田神線経由の電車に乗り換え可能)
忠節駅:名鉄揖斐線

関連項目
廃線
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 楼主| 发表于 2007-1-7 18:09 | 只看该作者
名鉄田神線 Encyclopedia
   

名鉄田神線 田神駅~市ノ坪駅間デッドセクション
田神線(たがみせん)は、競輪場前駅から田神駅までを結んでいた名古屋鉄道の軌道線。全線が岐阜県岐阜市内を走行していた。

各務原線を経て名鉄岐阜駅に直通する美濃町線の電車が通る連絡線の役目を持っていた。その電車には、美濃町線・田神線が600V電化、各務原線が1500V電化であるため、双方の区間を走行できる専用の複電圧車が使用され、デッドセクションのある市ノ坪~田神間で電圧の切り替えを行っていた。

2004年に名古屋鉄道は利用客の減少から、岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の600V電化区間について運営撤退を正式に表明。軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を同年3月に提出し、2005年4月1日に廃止された。

名鉄の廃止表明受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について検討を行なったが、2004年7月27日、岐阜市長は利用客減少や財政難などを理由に存続断念を発表した。一時は、岡山電気軌道が支援検討を表明していた。

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 関連項目




路線データ
※特記なければ路線廃止時点のもの。

路線距離(営業キロ):1.4km
軌間:1067mm
駅数:3駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:自動閉塞式

運行形態美濃町線と一体的に運行されており、名鉄岐阜~新関と名鉄岐阜~関間の列車がほぼ交互に運転されていた。


歴史
岐阜市長住町から1967年に同市市ノ坪町へ移転した名鉄の岐阜工場への引き込み線を転用して、1970年に開業し、新岐阜駅への美濃町線電車の乗り入れを開始した。

1970年6月25日 競輪場前~田神間が開業。
2005年4月1日 競輪場前~田神間廃止。

駅一覧
廃止前時点では普通列車のみ運行。全列車、各駅に停車。

駅名 営業キロ 接続路線 所在地
競輪場前駅 0.0 名古屋鉄道:美濃町線(関方面は直通) 岐阜県岐阜市
市ノ坪駅 0.9  
田神駅 1.4 名古屋鉄道:各務原線(名鉄岐阜方面は直通)

駅名・接続路線名は廃止時点、所在地は路線廃止時点のもの。
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 楼主| 发表于 2007-1-7 18:11 | 只看该作者
名鉄揖斐線 Encyclopedia
   


忠節駅



根尾川橋梁 政田駅~下方駅

相羽駅
揖斐線(いびせん)は、岐阜県岐阜市の忠節駅から岐阜県揖斐郡大野町の黒野駅を経て岐阜県揖斐郡揖斐川町の本揖斐駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線である。

全ての列車が岐阜市内線と直通運転しており、車両は路面電車タイプの連接車が使用されていた。2005年4月1日に全線が廃止された。この日廃止された名鉄の600V電化区間で唯一の鉄道事業法適用区間であった。

目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 歴史
5 駅一覧
6 所要時間・運賃
7 関連項目




路線データ
※特記なければ路線廃止時点のもの。

路線距離(営業キロ):忠節~本揖斐間 18.3km
軌間:1067mm
駅数:16駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:自動閉塞式

概要
宅地化が進む岐阜市西郊の通勤・通学路線であった。かつては、途中の黒野駅から分岐して谷汲村(現揖斐川町)にある谷汲駅までを結ぶ谷汲線が延び、谷汲山華厳寺への参詣の足となっていたが、揖斐線黒野~本揖斐間とともに2001年に廃止された。

その後も車社会の進展で利用客の減少に歯止めがかからず、2004年に名古屋鉄道は岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の600V電化区間について運営撤退を正式に表明。軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を同年3月に提出し、2005年4月1日に廃止された。

名鉄の廃止表明を受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について検討を行なったが、2004年7月27日、岐阜市長は利用客減少や財政難などを理由に存続断念を発表した。一時は、岡山電気軌道が支援検討を表明していた。


運行形態
廃止前時点では、揖斐線の全ての列車が岐阜市内線と直通運転を行っていた。急行は昼間時間帯に運転されており、近ノ島駅、旦ノ島駅のみを通過していたが、設定当初はこの他にも通過駅があった。ワンマン運転を実施していた。


歴史
岐北軽便鉄道により開業し、美濃電気鉄道を経て名古屋鉄道の路線となった。岐阜市内線と繋がるのは戦後のことである。

1914年3月29日 岐北軽便鉄道が忠節~北方(現在の美濃北方)間を開業。
1921年11月10日 美濃電気軌道が岐北軽便鉄道を合併。北方線となる。
1926年4月6日 美濃電気軌道北方線 美濃北方~黒野間が開業。
1928年12月20日 美濃電気軌道北方線 黒野~揖斐(のちの本揖斐)間が開業。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。北方線を揖斐線と改称。
1930年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更。
1938年8月4日 長良川改修工事のため忠節~尻毛間を休止。
1939年2月13日 近ノ島~尻毛間が運行再開。
1941年12月20日 忠節~近ノ島間が運行再開。
1942年4月1日以前 北方駅を美濃北方駅に改称。
1944年 萱場駅、尻毛橋駅、八ツ又駅、麻生駅、八丈岩駅休止。
1948年8月1日 忠節駅が西方へ移転。岐阜市内線忠節橋停留場が駅前に移転。
1954年12月21日 忠節~近ノ島間が経路変更。忠節駅で岐阜市内線と接続。
1967年12月17日 岐阜市内線直通の急行を運転開始。
1969年4月5日 萱場駅、尻毛橋駅、川部橋駅、八ツ又駅、麻生駅、八丈岩駅廃止。
1984年10月16日 黒野~本揖斐間で閑散時ワンマン運転開始。
1987年5月11日 忠節~黒野間で一部列車除きワンマン運転開始。
2001年10月1日 黒野~本揖斐間5.6kmが廃止。翌日より名阪近鉄バスにより廃止代替バス運転開始。
2005年4月1日 忠節~黒野間12.7kmが廃止され全廃。翌日より岐阜バスにより廃止代替バス運転開始。

駅一覧
●:停車、|:通過。
駅名 営業キロ 急行 接続路線 所在地
忠節駅 0.0 ● 名古屋鉄道:岐阜市内線(直通) 岐阜県 岐阜市
近ノ島駅 0.7 |  
*萱場駅 -    
旦ノ島駅 2.0 |  
*尻毛橋駅 -    
尻毛駅 3.2 ●  
*川部橋駅 -    
又丸駅 4.3 ●  
北方東口駅 5.1 ●   本巣郡北方町
北方千歳町駅 5.7 ●  
美濃北方駅 6.2 ●  
*八ツ又駅 -     本巣市
真桑駅 8.3 ●  
政田駅 9.5 ●  
下方駅 10.8 ●   揖斐郡大野町
相羽駅 11.6 ●  
黒野駅 12.7 ● 名古屋鉄道:谷汲線(2001年まで)
*麻生駅 -    
中之元駅 14.7    
清水駅 16.1     揖斐郡揖斐川町
*八丈岩駅 -    
本揖斐駅 18.3    

駅名・接続路線名は廃止時点、所在地は路線(区間)廃止時点のもの。
急行停車駅は2005年時点のもの。
*印の駅は路線(区間)廃止前に廃止された駅(廃止日は歴史参照)

所要時間・運賃(2005年、路線廃止前時点)

忠節-美濃北方:約14分、230円(140円)
忠節-政田:約20分、290円(150円)
忠節-黒野:約30分、340円(170円)
新岐阜-黒野:約43分、510円(260円)
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 楼主| 发表于 2007-1-7 18:14 | 只看该作者
名鉄美濃町線 Encyclopedia

   


徹明町駅とモ590形

上芥見駅

津保川を渡るモ600形 上芥見駅~白金駅間


美濃町線の電車(モ800形・新関駅にて)


保存された旧美濃駅舎
美濃町線(みのまちせん)は、岐阜県岐阜市の徹明町駅から岐阜県関市の関駅、および岐阜県美濃市の美濃駅までを結んでいた名古屋鉄道の軌道線である。2005年4月1日に全線が廃止された。
目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 歴史
5 駅一覧
6 関連項目




路線データ
※特記なければ路線廃止時点のもの。

路線距離(営業キロ):
徹明町~関間 18.8km (2005年廃止)
新関~美濃間 6.3km (1999年廃止)
軌間:1067mm
駅数:24駅(起終点駅、岐阜柳ヶ瀬駅含む)
複線区間:徹明町~梅林間
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:特殊自動閉塞式(梅林~下芥見間)、スタフ閉塞式(下芥見~関間)

概要
路線の大半が国道156号線・国道248号線沿いの併用軌道を走っていた。徹明町駅~北一色駅間は完全な併用軌道だが、北一色駅~関駅間は道路と並行して走る専用軌道が多くなった。かつては岐阜の繁華街徹明町と、美濃紙とうだつの町美濃市を結んでいたが、1999年に新関~美濃間が廃止され、同区間で並行していた長良川鉄道の関駅へ乗り入れている。

多くの列車が競輪場前駅から田神線・各務原線を経て名鉄岐阜駅へ直通していたが、美濃町線・田神線が600V電化、各務原線が1500V電化であるため、双方の区間を走行できる専用の複電圧車が使用されていた。2000年には最後の新車となる800形を投入。部分低床車にすることで乗降に配慮し、従来は1500V区間で使えなかった冷房を使えるようになった。LRTへの近代化を図る試みといえた。2001年には並行する岐阜バスとの共通乗車制度が設けられた。

しかし、乗降客の減少は歯止めがかからなかった。2003年1月24日に名古屋鉄道は利用客の減少から、名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の600V電化区間について運営撤退を周辺自治体と検討すると表明(岐阜市内線概要も参照)。撤退表明後も乗降客はさらに減少し、翌2004年、名鉄は正式に撤退を表明した。軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を同年3月に提出し、2005年4月1日に廃止された。

名鉄の廃止表明を受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について検討を行なった。しかし、2004年7月27日、岐阜市長は利用客減少や財政難などを理由に存続断念を発表した。一時は、岡山電気軌道が支援検討を表明していた。

2005年1月29日、新岐阜駅は名鉄岐阜駅と改称されたが、美濃町線の車両は、3月末の廃止を控えて、方向幕の「新」の部分をマスキングしただけで差替えは行われなかった。また車内放送も変更されることなく「新岐阜」のままであった。

2005年3月31日にさよなら運転が行われた。しかし日野橋~琴塚間で線路妨害(往来危険)の置き石に遭い、一時不通に。また、ワンマン運行のため混雑する乗客の対応に時間がかかり、最終電車は4月1日になっていた。(最終電車は4月1日午前0時40分過ぎ新関に到着。)

なお、地元・関市の企業を中心として、2006年春再開へ向けた動きも模索されているようだが、施設撤去が急速に進む現状から、実現はかなり困難と思われる。


運行形態
徹明町駅が起点であるが、廃止前時点で新関駅・関駅方面への列車は朝の一部を除き全て名鉄岐阜駅発着であった。運転系統は主として徹明町~野一色・日野橋間と名鉄岐阜~新関・関間があり、名鉄岐阜~新関間と名鉄岐阜~関間の列車がほぼ交互に運転されていた。1999年からはワンマン運転を開始した。 また2003年ごろからは日中10時~15時にかけて15分ヘッドを30分ヘッドにする減便が行われた。

新関~美濃間は1990年代頃には昼間毎時1本の運転であった。1970年に新岐阜駅(現・名鉄岐阜駅)直通運転を開始した際には急行も設定されたが5年後には廃止され、1981年には朝夕を除いて徹明町・新岐阜~美濃間直通運転はなくなり、新関駅で乗り換えとなっていた。


歴史
美濃電気軌道により開業した。起点と終点付近で経路変更が行われている。

1911年2月11日 美濃電気軌道が神田町(のちの岐阜柳ヶ瀬)~上有知(のちの美濃町)間を開業。
1911年4月1日 上有知駅を美濃町駅に改称。
1911年7月24日 美濃町駅移転。
1913年 関駅を美濃関駅に改称。
1923年10月1日 松森~新美濃町(のちの美濃)間を移設。美濃町駅を移転し新美濃町駅に改称。
1923年10月5日 美濃関駅を新美濃関駅に改称。
1924年 新美濃関駅を新関駅に改称。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。美濃町線となる。
1930年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更。
1941年2月10日 兵営前駅を北一色駅に改称。
1942年以前 岐阜柳ヶ瀬~梅林間の殿町駅廃止。
1950年4月1日 岐阜柳ヶ瀬~梅林間を廃止し、徹明町~梅林間の新線開業。美濃町線の起点を徹明町駅に変更。
1950年4月1日 梅林~北一色間に競輪場前駅開業。
1953年4月12日 徹明町~梅林間が複線化。
1954年9月10日 徹明町~梅林間に金園町駅開業。
1954年10月1日 新美濃町駅を美濃駅と改称。
1957年8月11日 日野橋~岩田間に岩田坂駅開業。
1960年10月20日 松森~美濃間の美濃町駅前駅廃止。1946年頃から休止。
1965年11月21日 金園町駅を金園町四丁目駅に、薬大前駅を金園町九丁目駅に改称。
1970年6月25日 田神線の開業により、新岐阜駅(現・名鉄岐阜駅)に美濃町線電車が乗り入れ開始。新岐阜~美濃間に急行を運転開始。
1975年9月16日 急行廃止。
1983年6月15日 新関~美濃間が昼間ワンマン運転化。
1999年4月1日 新関~美濃間6.3kmが廃止、新関~関間が開業(手続上は新関~関間0.3km線路移設、関~美濃間6.0km廃止)。
1999年12月25日 徹明町・新岐阜~新関間ワンマン運転開始。
2005年4月1日 徹明町~関間18.8kmが廃止され全廃。

駅一覧
駅名 営業キロ 接続路線 所在地
岐阜柳ヶ瀬~梅林間(1950年廃止)
岐阜柳ヶ瀬駅 0.0 名古屋鉄道:岐阜市内線 岐阜県岐阜市
*殿町駅 -  
梅林駅 0.8  
徹明町~関間(2005年廃止)
徹明町駅 0.0 名古屋鉄道:岐阜市内線 岐阜県 岐阜市
金園町四丁目駅 0.5  
梅林駅 0.9  
金園町九丁目駅 1.4  
*岩戸前駅 -  
競輪場前駅 1.9 名古屋鉄道:田神線(多くが直通)
北一色駅 3.0  
野一色駅 4.1  
琴塚駅 4.8  
日野橋駅 5.8  
岩田坂駅 6.9  
岩田駅 8.1  
下芥見駅 9.3  
上芥見駅 10.9  
白金駅 12.7   関市
小屋名駅 14.3  
赤土坂駅 15.6  
新田駅 16.7  
新関駅 18.5 長良川鉄道:越美南線(関駅)
関駅 18.8 長良川鉄道:越美南線
新関~美濃間(1999年廃止)
下有知駅 20.7   岐阜県 関市
神光寺駅 21.7  
松森駅 23.2   美濃市
*美濃町駅前駅 24.5 日本国有鉄道:越美南線(美濃市駅※)
美濃駅 24.8 長良川鉄道:越美南線(美濃市駅)

駅名・接続路線名は廃止時点、営業キロ・所在地は路線(区間)廃止時点のもの。
*印の駅は路線(区間)廃止前に廃止された駅(廃止日は歴史参照。なお岩戸前駅の廃止日は不明)
※美濃町駅前駅営業当時は美濃町駅
50
 楼主| 发表于 2007-1-8 17:40 | 只看该作者
名鉄鏡島線 Encyclopedia

   


鏡島線(かがしません)とは、岐阜県岐阜市の千手堂駅から、同県同市にあった西鏡島駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線。1964年にバスに転換されてからは、名鉄バスが運行していたが、2004年10月1日に岐阜バスに譲渡された。


目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線




路線データ
路線距離(営業キロ):千手堂~西鏡島間 4.4km
軌間:1067mm
駅数:11駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)

歴史
1924年4月21日 美濃電気軌道が千手堂~鏡島間を開業。
1925年6月1日 岐阜市内線の徹明町~千手堂間が開業。鏡島線と接続。
1926年11月1日 川原畑駅開業。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。鏡島線となる
1930年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更。
1941年10月21日 市民病院前駅開業。
1944年12月11日 不要不急線として森屋~鏡島間休止。
1950年6月10日 千手堂~森屋間が道路拡幅工事のため休止。
1950年7月11日 千手堂~森屋間運行再開。併用軌道化。
1953年8月16日 森屋~弘法口間運行再開。弘法東口駅を東鏡島駅、弘法西口駅を弘法口駅と改称。
1954年9月10日 弘法口~港(旧・鏡島)間運行再開。港~合渡橋間開業。
1957年9月5日 合渡橋駅を西鏡島駅と改称。
1964年10月4日 千手堂~西鏡島間全線廃止し、バスに転換。

駅一覧
千手堂駅 - 鍵屋駅 - 本荘駅 - 市民病院前駅 - 森屋駅 - 東鏡島駅 - 弘法口駅 - 川原畑駅 - 鏡島駅 - 港駅 - 西鏡島駅


接続路線
千手堂駅:名鉄岐阜市内線
51
 楼主| 发表于 2007-1-8 17:41 | 只看该作者
名鉄高富線 Encyclopedia

   


高富線(たかとみせん)とは、岐阜県岐阜市の長良北町駅から、同県山県市(営業当時は山県郡高富町)にあった高富駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線。岐阜市内線との直通運転も行われていた。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線




路線データ
路線距離(営業キロ):km)
軌間:1067mm
駅数:9駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)

歴史
1913年12月25日 長良軽便鉄道が長良(のちの長良北町)~高富間を開業。
1915年11月20日 美濃電気軌道の長良橋~長良北町間が開業。長良軽便鉄道と接続。
1920年9月 美濃電気軌道が長良軽便鉄道を合併。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。高富線となる。
1930年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更。
1938年3月16日 継子渕~三田洞間の上岩崎駅廃止。
1942年4月1日? 戸羽川~三田洞間の継子渕駅廃止。
1949年12月1日 1944年から休止していた粟野駅営業再開。
1960年4月22日 全線廃止し、バスに転換。

駅一覧
長良北町駅 - 高見駅 - 下岩崎駅 - 戸羽川駅 - 継子渕駅 - 上岩崎駅 - 三田洞駅 - 粟野駅 - 高富駅


接続路線
長良北町駅:名鉄岐阜市内線
52
 楼主| 发表于 2007-1-8 17:42 | 只看该作者
名鉄谷汲線 Encyclopedia

   


谷汲線(たにぐみせん)は、岐阜県揖斐郡大野町の黒野駅から岐阜県揖斐郡谷汲村(現揖斐川町)の谷汲駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線である。

運賃計算区分はC。(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 関連項目




路線データ
※特記なければ路線廃止時点のもの。

路線距離(営業キロ):11.2km
軌間:1067mm
駅数:9駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:スタフ閉塞式(平時)
平時は黒野-谷汲間をスタフ閉塞式で一閉塞区間としていたが、谷汲山命日や観光時期の列車増発時には北野畑に運転要員を派遣し、黒野-北野畑間を票券閉塞式、北野畑-谷汲間をスタフ閉塞式に閉塞を分割して運行した。

運行形態
全て、普通列車のワンマン運転であった。朝の6~8時台では、黒野~谷汲間で30分間隔で毎時2往復、その他は終電まで60分間隔で、毎時1往復運転されていた。ただし、毎月18日の谷汲山命日とシーズンの特定日、廃線間際には、臨時列車数往復が増発されて、日中(11時~15時)も毎時2往復運転されていた。単線のため、30分間隔で運行する時は途中、北野畑駅で列車の行き違いを行っていた。なお末期は朝夕も50分間隔となり、北野畑駅での行き違いを行わなくなっていた。


歴史
1926年6月25日 谷汲鉄道が黒野~谷汲間を開業。
1944年 黒野西口駅、豊木駅、八王子坂駅、長瀬茶所駅が休止。
1944年3月1日 名古屋鉄道が谷汲鉄道を合併。谷汲線となる。
1946年9月16日 豊木駅営業再開。
1958年5月1日 長瀬茶所駅が廃止。
1968年8月5日 揖斐線・岐阜市内線直通の急行を新設。
1969年4月5日 黒野西口駅、八王子坂駅が廃止。
1984年3月20日 急行廃止。
1984年10月16日 閑散時ワンマン運転開始。
1990年4月23日 結城駅が廃止。
2001年10月1日 黒野~谷汲間が廃止。名阪近鉄バスにより廃止代替バス運転開始。
2005年10月1日 名阪近鉄バス谷汲黒野線(代替バス)廃止。

駅一覧
廃止前時点では普通列車のみ運行。全列車、各駅に停車。

駅名 営業キロ 接続路線 所在地
黒野駅 0.0 名古屋鉄道:揖斐線 岐阜県 揖斐郡大野町
*黒野西口駅 -  
黒野北口駅 0.9  
豊木駅 2.0  
稲富駅 2.8  
更地駅 3.9  
*八王子坂駅 -  
北野畑駅 5.8  
赤石駅 6.9   揖斐郡揖斐川町
長瀬駅 8.4  
*長瀬茶所駅 -  
*結城駅 10.2  
谷汲駅 11.2  

駅名・接続路線名は廃止時点、所在地は路線廃止時点のもの。
*印の駅は路線廃止前に廃止された駅(廃止日は歴史参照)
53
 楼主| 发表于 2007-1-8 17:43 | 只看该作者
名鉄豊川線 Encyclopedia

   


豊川線(とよかわせん)は、国府駅から豊川稲荷駅までを結ぶ名古屋鉄道の路線である。全線が愛知県豊川市内を走行する。

豊川稲荷への参詣路線として年末年始には賑わう路線。実態としては鉄道であるが、開業当初は「豊川市内線」と呼んでいて路面電車が走る路線であった名残で、全線が軌道法に基づく軌道となっている。岐阜地区の岐阜市内線・美濃町線・田神線が2005年3月31日を以て廃止された現在では、名鉄唯一の軌道線となった。

運賃計算区分はC。(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 関連項目




路線データ
路線距離(営業キロ):7.2km
軌間:1067mm
駅数:5駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式

運行形態
平日朝は線内折り返しの普通が多く、名古屋本線直通の急行と特急が数本入る。また平日の1往復だけ2200系を使った特急運用もあり、豊川線で唯一の一部特別車特急となっている。 昼間は名古屋本線直通の急行または快速急行と線内折り返しの普通列車が交互に走り、毎時4往復運転されている。 夜になっても平日は昼間と同じ運用だが、土日は普通列車の運転がなくなり毎時2往復態勢になり、更に深夜になると平日土日ともに線内折り返しの普通列車のみの毎時2往復態勢になる。

また1月になると、豊川稲荷への参拝客輸送のため、通常のダイヤに加え名古屋本線直通の特急が毎時2往復走るようになる。この特急は全車特別車である。なお、特急についての詳細は名鉄特急も参照のこと。


歴史
名古屋・岡崎方面からは、1926年に伊奈駅から分岐して小坂井駅までにいたる小坂井支線を通り、小坂井駅から豊川鉄道線(現在の飯田線)に直通運転することで豊川駅までの乗り入れを果たしていたが、豊川に海軍の軍需工場があったため、抜本的な輸送力増強を目的に建設された。戦後、豊川線が豊川稲荷駅まで延伸されると小坂井支線は廃止された。

1945年2月18日 豊川市内線として国府~市役所前(現在の諏訪町)間が開業。
1953年12月16日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
1954年4月1日 市役所前~稲荷口間が開業。
1954年12月25日 稲荷口~新豊川(現在の豊川稲荷)間が開業し全通。豊川市内線を豊川線に改称。伊奈~小坂井間の小坂井支線廃止。

駅一覧
駅名 営業キロ 普通 急行 快速急行 特急 接続路線 所在地
国府駅 0.0 ● ● ● ● 名古屋鉄道:名古屋本線 愛知県豊川市
八幡駅 2.5 ● ● ● |  
諏訪町駅 4.4 ● ● ● ●  
稲荷口駅 6.0 ● ● ● |  
豊川稲荷駅 7.2 ● ● ● ● 東海旅客鉄道:飯田線(豊川駅)

●:全ての列車が停車 |:通過
54
 楼主| 发表于 2007-1-8 17:44 | 只看该作者
名鉄起線 Encyclopedia

   


起線(おこしせん)とは、愛知県一宮市の八幡町駅から同県同市(営業当時は中島郡起町)の起駅までを結んでいた名古屋鉄道の軌道線(路面電車)である。一時は名鉄一宮駅(当時の新一宮駅)に乗り入れていたこともあった。

廃止の理由は、乗客数が増加したものの、複線化などの輸送力増強が敷地や予算の問題で難しかったことによるもので、昨今の廃線とは事情が異なっている。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
※路線廃止時点のもの

路線距離(営業キロ):八幡町~起間 5.3km
軌間:1067mm
駅数:10駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)

歴史
1921年(大正10年)8月5日 起から一宮の便を図る目的で、同区間の軌道敷設免許を収得。
1922年(大正11年)3月25日 同軌道の建設を行うために蘇東電気軌道を設立。
1923年(大正12年)11月1日 蘇東電気軌道、名古屋鉄道に合併。
1924年(大正13年)2月1日 起~一宮(後、八幡町)間5.3kmが蘇東線として開業。
1930年(昭和5年)12月20日 尾西線と一部区間の線路を共用する形で、新一宮駅への乗り入れを開始。
1944年(昭和19年) 馬引駅、篭屋駅、西三条駅、新三条駅、工業高校前駅休止。
1946年(昭和21年)8月15日 休止中の馬引駅、篭屋駅、西三条駅、新三条駅、工業高校前駅営業再開。
1948年(昭和23年)5月16日 起線に路線名を変更。
1949年(昭和24年)12月1日 一宮駅を八幡町駅に、東洋紡績前駅を一宮病院前駅に、工業高校前駅を西中島駅に改称。
1952年(昭和27年)12月24日 尾西線の1500V昇圧に伴い、新一宮駅乗り入れを廃止。
1953年(昭和28年)6月1日 電車の運行を休止してバス代行輸送とする。バスは新一宮駅へ乗り入れた。
1954年(昭和29年)6月1日 バスが好評であったため、正式に廃止。

駅一覧
新一宮駅 - 八幡町駅 - 一宮病院前駅 - 馬引駅 - 篭屋駅 - 尾張三条駅 - 西三条駅 - 新三条駅 - 尾張中島駅 - 西中島駅 - 起駅


接続路線
新一宮駅(現・名鉄一宮駅):名古屋本線・尾西線
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 楼主| 发表于 2007-1-8 17:45 | 只看该作者
北陸鉄道金沢市内軌道線 Encyclopedia

   


金沢市内軌道線(かなざわしないきどうせん)は、石川県金沢市の市街地区域を結んでいた北陸鉄道の鉄道路線。

金沢市内の交通渋滞常態化解消のため、昭和42年(1967年)2月11日、全線廃線となった。

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 関連項目




路線データ
路線距離(営業キロ):12.9km(最盛期)
軌間:1067mm
複線区間: (白銀交差点)~白銀町~六枚町~金沢駅前~(白銀交差点), 鳴和~東金沢駅前 以外
金沢駅前単線区間はループ状で時計回りのみ。金沢駅前~(白銀交差点)~白銀町 の直通営業運転なし。
電化区間: 全線(直流600V)

運行形態
鳴和~東金沢駅前間廃止時点(最盛期)は6系統あった。 また、一時期は浅野川線、松金線への相互乗り入れを行っていた。

各系統は以下のとおり。

運行系統 延長 区間 主要電停 特記事項
1 x.xkm 金沢駅前~小立野 武蔵ヶ辻, 橋場町, 兼六園下 金沢駅前行のみ 白銀町, 六枚町に停車
2 x.xkm 金沢駅前~寺町 武蔵ヶ辻, 香林坊, 野町広小路 金沢駅前行のみ 白銀町, 六枚町に停車
3 x.xkm 野町駅前~小立野 野町広小路, 香林坊, 兼六園下 なし
4 x.xkm 野町駅前~鳴和 野町広小路, 香林坊, 武蔵ヶ辻 なし
5 x.xkm 東金沢駅前~寺町 兼六園下, 香林坊, 野町広小路 なし
6 x.xkm 金沢駅前~兼六園下 武蔵ヶ辻, 香林坊 金沢駅前行のみ 白銀町, 六枚町に停車


歴史
1919年2月2日 金沢電気軌道が金沢駅前~橋場町~兼六園下を開業。
1919年7月13日 兼六園下~香林坊~犀川大橋、武蔵ヶ辻~香林坊、兼六園下~小立野開業。
1920年11月20日 犀川大橋~野町(後の野町駅前)開業。
1921年7月10日 野町広小路~寺町開業。
1922年7月13日 浅野川大橋~小坂神社前開業。
1922年12月14日 橋場町~浅野川大橋開業。
1941年8月1日 北陸合同電気(現在の北陸電力)設立にあわせて金沢電気軌道を合併。
1942年3月26日 北陸合同電気が保有路線を北陸鉄道に譲渡。
1945年5月17日 (白銀交差点)~白銀町~金沢駅前、小坂神社前~鳴和開業。
1945年12月1日 鳴和~東金沢駅前開業。
1965年6月24日 尻垂坂(現在の兼六坂・兼六園下~出羽間)で300形の暴走脱線事故。
1966年2月28日 東金沢駅前~鳴和廃止。
1966年12月26日 鳴和~橋場町廃止。
1967年2月11日 全線廃止。

駅一覧
白銀町、六枚町は金沢駅前行きのみ停車。それぞれ廃止時の名称。

運行系統1
金沢駅前 - (六枚町) - (白銀町) - 安江町 - 武蔵ヶ辻 - 尾張町 - 橋場町 - 味噌蔵町 - 兼六園下 - 出羽町 - 下石引町 - 小立野
運行系統2
金沢駅前 - (六枚町) - (白銀町) - 安江町 - 武蔵ヶ辻 - 堤町 - 南町 - 尾山神社前 - 香林坊 - 片町 - 犀川大橋 - 野町広小路 - 大桜 - 寺町3丁目 - 寺町2丁目 - 寺町
運行系統3
野町駅前 - 野町4丁目 - 野町広小路 - 犀川大橋 - 片町 - 香林坊 - 県庁前 - 兼六園下 - 出羽町 - 下石引町 - 小立野
運行系統4
野町駅前 - 野町4丁目 - 野町広小路 - 犀川大橋 - 片町 - 香林坊 - 尾山神社前 - 南町 - 堤町 - 武蔵ヶ辻 - 尾張町 - 橋場町 - 浅野川大橋 - 森下町 - 高道町 - 小坂神社前 - 春日町 - 鳴和
運行系統5
東金沢駅前 - 大樋口 - 鳴和 - 春日町 - 小坂神社前 - 高道町 - 森下町 - 浅野川大橋 - 橋場町 - 味噌蔵町 - 兼六園下 - 県庁前 - 香林坊 - 片町 - 犀川大橋 - 野町広小路 - 大桜 - 寺町3丁目 - 寺町2丁目 - 寺町
運行系統6
金沢駅前 -(六枚町) - (白銀町) - 安江町 - 武蔵ヶ辻 - 堤町 - 南町 - 尾山神社前 - 香林坊 - 県庁前 - 兼六園下

接続路線
金沢駅前:国鉄北陸本線(金沢駅)、北陸鉄道浅野川線(北鉄金沢駅)、北陸鉄道金石線(中橋駅)
六枚町:北陸鉄道金石線(中橋駅)
東金沢駅前:国鉄北陸本線(東金沢駅)
野町駅前:北陸鉄道石川線(野町駅)、北陸鉄道松金線(野町駅(1944年まで))
56
 楼主| 发表于 2007-1-8 17:46 | 只看该作者
土佐電気鉄道新地線 Encyclopedia

   


土佐電気鉄道新地線(とさでんきてつどうしんちせん)は、高知県高知市内の知寄町二丁目駅と若松町駅とを結んでいた、土佐電気鉄道の軌道路線。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 外部リンク




路線データ
路線距離(営業キロ):0.5km
軌間:1067mm
駅数:2駅(起終点駅含む)
電化区間:全線(直流600V)

歴史
1911年8月22日 新地通(現在の知寄町二丁目)~新地(後に若松町に改称)間が開業
1944年7月15日 同日より節電のため運休
1954年7月19日 廃止届出

駅一覧
知寄町二丁目 - 若松町駅


接続路線
知寄町二丁目駅:土佐電気鉄道後免線

外部リンク
土佐電氣鐵道株式会社のホームページ
57
 楼主| 发表于 2007-1-8 17:47 | 只看该作者
旭川電気軌道東川線 Encyclopedia

   


東川線(ひがしかわせん)は、旭川電気軌道が運営していた軌道路線である。

目次
1 路線データ(廃止時)
2 概要
3 歴史
4 車両
5 運転系統
6 駅一覧
7 接続路線
8 関連項目




路線データ(廃止時)
軌間:1067mm
電化区間:全線(直流600V)
複線区間:
閉塞方式:
交換可能駅:7(旭川追分、千代田、観音、旭正、上旭正、十号、西川)
車庫所在地:旭川四条駅

概要
旭川市の旭川四条と東川町をむすぶ郊外路線。東川の有志により会社が設立され、当初は軽便鉄道を敷設する予定であったが、電気軌道に変更して開業。旭川と東川を結ぶ農村鉄道として機能し、旅客・貨物ともに重要な地域交通機関であった。

昭和30年代後半より貨物の輸送量が減少し、旅客部門も始発の旭川四条が旭川の中心部からから離れている事、東川までの運賃がバスと変わらない事や、定期旅客の増加等で伸び悩み赤字に転落。経営合理化を進めたが、施設の老朽化などもあり、昭和40年代にはいると廃止・バス転換を推進する会社側と、重要な輸送機関として存続を望む沿線農協等の株主側とで毎年攻防が繰り広げられていた。1972年、沿線道路の拡充により貨物輸送のトラック転換が進んだため、両者が廃止に合意。同年大晦日を以って運行を終了した。


歴史
1927年1月8日 旭川四条-十号間 開通
1927年2月14日 十号-東川間 開通
1927年10月2日 旭川四条-旭川間(貨物側線)開通
1973年1月1日 廃止。

車両
1000形 1001号の一両のみ。1955年製。ノーシル・ノーヘッダのスマートな車体。保存車両。

運転系統
概ね一時間毎の運行であった(旭川追分までは東旭川線と30分毎の交互運行)。全線所要時間約40分。

途中旭正駅で列車の行き違いがあった。

貨物列車は貨物車を電車が牽引するという珍しい方法であった。貨物運行は不定期だが、米の出荷時には終夜運行も実施していた。


駅一覧
旭川四条駅-旭川追分駅-二号線駅-千代田駅-四号線駅-観音駅-坂ノ上駅-旭正駅-上旭正駅-上七号線駅-十号駅-九号駅-西川駅-西六号駅-東川学校駅-東川駅
(貨物線)旭川四条駅-旭川一条駅-旭川駅

接続路線
事業者名は東川線営業当時のもの

旭川四条駅:国鉄宗谷本線
旭川追分駅:旭川電気軌道東旭川線
58
 楼主| 发表于 2007-1-8 17:48 | 只看该作者
旭川電気軌道東旭川線 Encyclopedia

   


東旭川線(ひがしあさひかわせん)は、旭川電気軌道が運営していた軌道路線である。

目次
1 路線データ(廃止時)
2 概要
3 歴史
4 車両
5 運転系統
6 駅一覧
7 接続路線
8 関連項目




路線データ(廃止時)
軌間:1067mm
電化区間:全線(直流600V)
複線区間:
閉塞方式:
交換可能駅:1(愛宕)


歴史
1929年12月30日 旭川追分-東旭川市街(後の二丁目)間 開通
1930年6月7日 東旭川市街~旭山公園間 開通。
1973年1月1日 廃止。

車両
旭川電気軌道東川線参照。


運転系統
おおむね1時間間隔の運行。旭川追分駅で東川線に乗り入れ、旭川四条駅まで直通していた。


駅一覧
旭川追分駅 - 龍谷学園前駅 - 墓地前駅 - 愛宕駅 - 一丁目駅 - 二丁目駅 - 役場前駅 - 四丁目駅 - 五丁目駅 - 旭山公園駅


接続路線
旭川追分駅:東川線
59
 楼主| 发表于 2007-1-8 17:48 | 只看该作者
桑名電軌 Encyclopedia

   


桑名電軌(くわなでんき)とは、かつて三重県桑名市内を走っていた軌道線(路面電車)である。駅と市街地を結ぶために建設されたが、全長僅か1kmのミニ路線であった。

目次
1 路線概要
2 停留場
3 沿革
4 接続路線




路線概要
路線距離:1.0km
停留所数:6
複線区間:なし(全線単線)
軌間:1067mm
運転間隔:5分または10分(5時30分~0時)
所要時間:全線4分

停留場
桑名駅前 - 車庫前 - 三崎前 - 旭橋 - 田町 - 本町


沿革
1927年(昭和2年)9月 開業
1944年(昭和19年)1月 不要不急線として休止(その後廃止)

接続路線
桑名駅:鉄道省関西本線、伊勢電気鉄道線→関西急行鉄道名古屋線・養老線(現、近鉄名古屋線・近鉄養老線)、北勢鉄道→北勢電気鉄道(現、三岐鉄道北勢線)
60
 楼主| 发表于 2007-1-9 08:12 | 只看该作者
名鉄勝川線 Encyclopedia

   


勝川線(かちがわせん)とは、愛知県春日井市の味鋺駅から新勝川駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線である。もともとは名古屋から坂下村(現、春日井市坂下町)へ延ばす予定の路線であったが、予算の関係でこの部分しか建設できず小牧線(営業当時は大曽根線)の盲腸線と化し、営業成績も低迷したことから既存部分も廃止になったものである。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
※路線廃止時点のもの

路線距離(営業キロ):2.1km
軌間:1067mm
駅数:3駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化・ガソリン気動車使用)

歴史
1931年2月11日 名古屋鉄道が味鋺~新勝川間を開業。
1936年4月8日 味鋺~新勝川間を休止。
1937年2月1日 味鋺~新勝川間を廃止。

駅一覧
味鋺駅 - 勝川口駅 - 新勝川駅


接続路線
※勝川線廃止直前時点の路線名

味鋺駅:名鉄大曽根線(現、小牧線)

関連項目
廃線

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