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日本铁道简介(日语资料)(来自日本百科事典)

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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:07 | 只看该作者
沖縄電気 Encyclopedia

   


沖縄電気(おきなわでんき)は、戦前の沖縄県那覇市を中心とした地域に電気を供給していた電力会社である。同社が運営していた路面電車についてもここで述べる。

目次
1 電力事業
2 軌道事業
2.1 路線データ
2.2 運行形態
2.3 年表
2.4 駅一覧
2.5 接続路線
2.6 車両
3 関連項目




電力事業
京都の才賀電気商会(才賀藤吉社長)が全国展開の一環として沖縄県への進出を目論み、1908年に沖縄出張所を開設した。その2年後の1910年1月には電力供給事業が許可され、同年4月に沖縄電気を設立、12月には那覇市内に発電所が完成し、那覇や首里、島尻郡に電気を供給した。

大正時代に入ると、過大な事業拡大で資金難に陥った才賀電気商会の経営が破綻。全国の系列会社は整理統合され、沖縄電気も才賀藤吉が社長職を辞し、土建会社である日本興業の管理下に入った。その後、1916年に鹿児島出身者による運営体制へと移行するが、1927年には東京資本の運営体制に移行(実態は「乗っ取り」)した。しかし、施設の老朽化で維持費がかさむようになると東京資本が撤退して1939年に球磨川水電の系列に入り、さらに1943年には戦時の配電統制で九州配電沖縄支店となったが、太平洋戦争末期の1944年には米軍の攻撃で発電機能を停止した。


軌道事業
才賀電気商会は沖縄での電力供給事業とともに、那覇と首里を結ぶ電気軌道の起業も計画し、1910年3月に通堂~大門前~首里間の軌道敷設の許可が下りた。電力会社が電鉄を兼業するのは当時の一般的なビジネスモデルで、大口の供給先を確保するとともに一般世帯への宣伝効果も狙っていた。

沖縄電気の場合は子会社方式で路面電車を運営することとし、1911年5月に沖縄電気軌道を設立、翌1912年9月に工事施行の認可を受けて着工する。着工直後に才賀電気商会の経営が破綻したものの、沖縄電気とともに日本興業の管理下に入って工事は続行され、1914年5月にまず大門前~首里間5.7kmが開業した。なお、開業前の試運転期間中には脱線事故やポール脱落事故などを引き起こしており、前評判はかなり悪かったようである。

開業直後こそ物珍しさから混雑したものの、当時の沖縄県民にとって那覇~首里間は徒歩移動の範囲内という認識があったためか輸送人員はすぐに落ち込み、開業1年目は1日あたりの輸送人員が当初見込みの4分の1(約1000人)にとどまった。さらに建設費などの債務も加わり、沖縄電気軌道はすぐに経営難に陥ってしまった。

このため、沖縄電気は軌道事業を直営化するとともに、通堂方面へ早期に延伸して経営再建を図ることを計画。1915年12月に沖縄電気軌道を買収し、沖縄電気軌道部による運営に移行した。その後、1917年9月に大門前~通堂間1.2kmが開業した。

大門前~首里間の開業2年目からは当初見込み並みの輸送人員を確保し、沖縄電気の直営化後は比較的安定した経営を続けていたが、1929年1月に並行するバス路線が開設されると輸送人員は急速に減少。1931年には車両を増備して増発を行うなど積極的な対抗策がとられたものの減少に歯止めがかからず、1932年に軌道事業からの撤退を決定。翌1933年3月に全線の休止が許可され、同年3月16日に西武門~通堂間が休止、続いて3月20日には残る西武門~首里間も休止となり、8月12日に全線が正式に廃止された。


路線データ
路線距離:通堂~首里 6.9km
軌間:1067mm
駅数:20(起終点駅含む)
電化区間:全線(500V)

運行形態
全線の所要時間は約32分、運転間隔は日中9~18分だった。大門前~首里間の開業当初は36分間隔だったが、利用者が比較的多かった大門前~崇元寺間では区間運転便も設定して運転間隔を詰めていた。


年表
1911年5月27日 沖縄電気軌道設立。
1914年5月3日 大門前~首里間が開業。
1915年12月1日 沖縄電気軌道の軌道事業が沖縄電気に譲渡される。
1917年9月11日 通堂~大門前間が開業(全線開業)。
1933年3月16日 通堂~西武門間が休止。
1933年3月20日 西武門~首里間が休止。
1933年8月12日 全線廃止。

駅一覧
通堂(とんどう)‐渡地前(わたんじまえ)‐見世の前(みせのまえ)‐郵便局前(ゆうびんきょくまえ)‐市場(いちば)‐松田矼(まつだばし)‐大門前(うふじょうのまえ)‐久米(くめ)‐西武門(にしんじょう)‐裁判所前(さいばんしょまえ)‐若狭町(わかさまち)‐潟原(かたばる)‐兼久(かねく)‐泊高橋(とまりたかはし)‐泊前道(とまりまえみち)‐崇元寺(そうげんじ)‐女学校前(じょがっこうまえ)‐坂下(さかした)‐観音堂(かんのんどう)‐首里(しゅり)


接続路線
安里:沖縄県営鉄道嘉手納線

車両
すべて木造車体の2軸車で、当時としてはごく標準的な形態の電車であった。

1~10号  
1912年梅鉢鉄工所製。沖縄電気軌道が発注した電車で、大門前~首里間の開業時に導入された。
11・12号  
1~10号と同じ1912年梅鉢鉄工所製。もともとは京都電気鉄道(後の京都市電)の電車で、1920年に和歌山水力電気が運営する和歌山市内の軌道線(後の南海和歌山軌道線)に移籍。この軌道線の経営が京阪電気鉄道から合同電気に移る直前の1930年に沖縄電気への譲渡が決まり、翌1931年から沖縄での運行を開始した。
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:07 | 只看该作者
松本電気鉄道浅間線 Encyclopedia

   


浅間線(あさません)

松本電気鉄道が松本駅前から浅間温泉までを結んで、1924年~1964年に運行していた路面電車の松本電気鉄道浅間線のこと。本稿で既述。
現在、同社がそれを引き継ぐ形で運行している路線バスの線名。浅間線と新浅間線(こちらが路面電車系統の継承といえる)がある。松本電気鉄道松本営業所管内参照。

浅間線(あさません)とは、かつて長野県松本市に存在した松本電気鉄道の軌道線(路面電車)である。浅間温泉へのアクセス路線としての役割を担っていたが、1964年に廃止された。

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 その他特徴
4 歴史
5 停留所一覧
6 接続路線
7 関連項目




路線データ
路線距離(営業キロ):松本駅前~浅間温泉 5.3km
軌間:1067mm
駅数:12駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流750V - 1958年10月31日まで直流600V)
併用軌道区間:松本駅前~学校前 1.6km(他は専用軌道)

運行形態
所要時間
松本駅前~浅間温泉間 18分(1961年当時)
運転間隔
全区間日中10分間隔、早朝・深夜20分間隔(同上)

その他特徴
戦後になっても鋼製電車が導入されず、最後まで木造電車が活躍した。

歴史
1924年4月19日 筑摩電気鉄道によって全区間開業。
1932年7月 松本駅前乗降場を駅前通から駅により近い松本駅前広場に移転。
1932年12月2日 社名を松本電気鉄道とする。
1958年11月1日 架線電圧を600Vから750Vに昇圧。
1964年4月1日 並行するバスに押されて乗客が減少し、松本駅前通の渋滞解消を目的として廃止。

停留所一覧
松本駅前 - 本町 - 小池町 - 学校前 - 清水 - 横田 - 自動車学校前 - 玄向寺前 - 運動場前 - 下浅間 - 中浅間 - 浅間温泉


接続路線
松本駅:国鉄篠ノ井線・大糸線、松本電気鉄道上高地線
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:09 | 只看该作者
阪急北野線 Encyclopedia

   


北野線(きたのせん)とは、大阪府大阪市北区の梅田駅から、淀川手前の北野駅までを結んでいた阪急電鉄(当時の社名は、阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄)の軌道線(路面電車)である。北野支線ないしは(大阪)市内線とも呼ばれた。

元々地上を走っていた宝塚本線・神戸本線を高架化した際、残った地上線を北野線として継続営業することにしたものである。そのため全長は0.8kmと、日本一短い路面電車といわれた桑名電軌(全長1.0km)より更に短いものであった。

廃線後、用地は京都本線電車用の複線(名目上は宝塚本線の複々線化)を十三駅~梅田駅間に敷設する際に活用された。


目次
1 路線データ
2 車両
3 沿革
4 停留所一覧
5 接続路線
6 関連項目




路線データ
路線距離:0.8km
軌間:1435mm
駅数:3
複線区間:全線複線
電化区間:全線直流600V電化
所要時間:梅田~北野間、5分
運行間隔:5時30分から23時45分頃まで、4~15分間隔
なお、梅田駅構内で阪急他線とも線路がつながっており、更に大阪市電ともつながっていた。


車両
当初は、大阪市電で使用された車両を譲り受け150形として運行していたが、1933年から箕面線で使用されていた34形(元、南海阪堺線用)を使用するようになった。同車は、当時の路面電車としては珍しく集電装置が菱形パンタグラフ(当時の標準はポールかピューゲル)で、前照灯も電車上部(当時標準は運転窓下)に取り付けられていた。


沿革
1910年3月10日 箕面有馬電気鉄道により、現在の宝塚本線の一部として梅田~北野~宝塚間開業。
1925年7月5日 宝塚本線・神戸本線を複々線化による分離と同時に高架化。同線には中津駅が設けられたため北野駅を廃止し、残った地上線の梅田~北野間を北野線として営業開始。
1949年1月1日 運転休止。
1959年2月18日 北野線の線路用地を使用して宝塚本線を複々線化し、京都本線用の線路とする。

停留所一覧
梅田 - 茶屋町 - 北野


接続路線
路線名称・事業者名は北野線廃止時のもの。

梅田:阪急宝塚本線・神戸本線・阪神本線・大阪市営地下鉄1号線(梅田駅)、運輸省東海道本線・西成線・城東線(大阪駅)、大阪市電(大阪駅前)
北野:阪神北大阪線(1975年廃止)
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:12 | 只看该作者
阪神国道線 Encyclopedia
   

71号


74号
国道線(こくどうせん)は、かつて大阪市の野田から神戸市の東神戸までを結んでいた、阪神電気鉄道運営の路面電車。

同じく阪神電気鉄道が運営した甲子園線(こうしえんせん、上甲子園~浜甲子園間、他に浜甲子園~中津浜(なかつのはま)間)と歴史的に連動し、広義では同線も含めて国道線と称したので、甲子園線についてもここで述べる。

目次
1 路線データ
2 概要
2.1 国道線
2.2 甲子園線
2.3 特徴
3 沿革
4 停留所一覧
4.1 国道線
4.2 甲子園線
5 保存車輌
6 関連項目
7 外部リンク




路線データ
路線距離(営業キロ):
国道線:野田~東神戸間 26.0km
甲子園線:上甲子園~浜甲子園間 3.0km、浜甲子園~中津浜間 0.8km
軌間:1435mm
駅数:(起終点駅含む)
国道線:46駅
甲子園線:9駅
複線区間:
国道線:全線複線
甲子園線:全線複線
電化区間:全線電化(直流600V)

概要
国道線
阪神間を結ぶ日本初の都市間高速鉄道(インターバン)として阪神本線を1905年に開業した阪神電鉄は、大正末期の阪神国道(現・国道2号)建設計画に伴い、同道路上を他社の軌道が走ることへの予防措置として、自らの手で国道上に軌道を運営することにした。1925年に子会社の阪神国道電軌を設立、わずか半年の突貫工事で1926年に野田~東神戸間26.0kmを開業。1928年には阪神本社が阪神国道電軌を吸収し、直営の国道線とした。

1950年代に、沿線の人口増加や工業化により最盛期を迎えたが、やがてモータリゼーションの影響を蒙り、表定速度低下と乗客減に悩まされた。結局、1969年、1974年と神戸側の区間廃止を経て、1975年5月、甲子園線及び同じく軌道線だった北大阪線と共に姿を消した。


甲子園線
国道線開通のちょうど1年前(1926年)、阪神が開発した郊外住宅地である甲子園への足として、まず甲子園~浜甲子園が開業。国道線開通、続く国道線直営化を受けて、1928年6月に上甲子園まで延長、国道線と連絡した。続く1930年、浜甲子園から更に海岸部の中津浜まで延長したが、この区間は太平洋戦争末期に休止となり、後に廃止された。

国道線、及び阪神本線の支線としての役割を担い、また戦後に浜甲子園団地が開発され「団地を走る軌道」との個性を見せていたが、1975年5月の国道線全廃と共に廃線となった。国道線との直通は、海水浴シーズンにわずかに行われたのみで普段は無く、基本は上甲子園以南の折返し運転だった。


特徴
国道線は、一本の軌道路線としては日本最長の路線だった。野田~東神戸間で約2時間を要するため、通しで乗る人はまず居らず、阪神本線の補完的路線であった。但し、国道2号が国鉄(東海道本線)寄りを走っていたためか、両端部の野田、西灘と甲子園線甲子園を除いて本線との連絡は良くなかった。

塗色は、現在の阪神赤胴車(クリームと朱色)のそれをややくすませたような、ベージュと小豆色の2色塗りであった。車輌では、側面窓がボディーの半分以上に及ぶ姿から「金魚鉢」と親しまれた71形などが有名。

国道線西端の東神戸では、1935年に延長してきた神戸市電と連絡しており(神戸市電の電停名は脇浜町)、レールもつながっていたが、直通は花電車など、記念列車的なものに限られていた。一方、東端の野田では北大阪線と接続していたが、これも直通は無かった。また大阪市電とは阪神本線を隔てており、繋がっていなかった。

プラットホーム設置は野田(乗車ホームのみ)、甲子園、浜甲子園、および路線短縮後の西灘の3駅のみで、それ以外の駅には安全地帯も無く、路上から直接乗降した。車輌は停車と同時にステップが下りてくる仕掛になっていた。

現在、国道線・甲子園線のルートは、阪神直営の阪神電鉄バスが引き継いで走っている。系統は大阪ローカル線、尼崎神戸線などに分断されている。


沿革
1926年(昭和元年)7月1日 甲子園線 甲子園~浜甲子園間開業。
1927年(昭和2年)7月1日 阪神国道電軌 西野田(後に野田)~神戸東口(後に東神戸)間開業。
1928年(昭和3年)4月1日 阪神国道電軌を合併、国道線とする。
1928年(昭和3年)6月25日 甲子園線 上甲子園~甲子園間開業。
1930年(昭和5年)7月9日 甲子園線 浜甲子園~中津浜間開業。
1945年(昭和20年)1月6日 甲子園線 浜甲子園~中津ノ浜間休止。
1969年(昭和44年)12月14日 国道線の西灘~東神戸間0.6kmを廃止。
1973年(昭和48年)9月26日 甲子園線 浜甲子園~中津浜間廃止。
1974年(昭和49年)3月17日 国道線の上甲子園~西灘間を廃止。
1975年(昭和50年)5月6日 国道線・甲子園線廃止。

停留所一覧
国道線
野田* - 中海老江 - 野里 - 歌島橋 - 御幣橋* - 佃 - 左門殿橋 - 北杭瀬 - 東長州 - 大物北口 - 県立尼崎高等学校前* - 尼崎玉江橋 - 東難波 - 難波 - 西難波 - 浜田車庫前 - 東大島 - 西大島 - 武庫大橋 - 上甲子園 - 瓦木 - 津門 - 北今津 - 西宮駅前 - 西宮札場筋 - 西宮戎 - 西宮西口* - 森具 - 山打出 - 芦屋駅前 - 芦屋川 - 森市場前 - 森 - 小路 - 田中 - 甲南学園前* - 灘高等学校前* - 住吉駅前 - 中御影* - 上石屋 - 徳井 - 八幡 - 六甲口 - 大石川 - 西灘 - 東神戸*


甲子園線
上甲子園 - 甲子園三番町 - 甲子園五番町* - 甲子園 - 阪神パーク前* - 甲子園九番町 - 浜甲子園 - 高砂 - 中津浜

*は、改称を経た駅名。

保存車輌
71形のうち71号と74号が、尼崎市内の公園に静態保存されている。車内は集会場や物置となり、周囲には金網があるものの、簡単ながら屋根もかけられており、保存状態は比較的良い。塗装の塗り直しなども、時折行われている模様である。

71形 71号 水明公園(尼崎市水明町)
71形 74号 蓬川公園(尼崎市崇徳院3丁目)
かつては、甲子園阪神パークにも、1形27号(表記は「1」となっていた)と200形215号が保存されていたが、いずれもパークの閉鎖より前に撤去されている。


関連項目
阪神北大阪線
阪神尼崎海岸線

外部リンク
阪神電鉄の路線について
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:17 | 只看该作者
阪神北大阪線 Encyclopedia

   


尼崎市内に保存されている71形


北大阪線(きたおおさかせん)は、かつて大阪市の野田から天神橋筋六丁目までを結んでいた阪神電気鉄道の路面電車。

目次1 路線データ
2 概要
3 沿革
4 停留所一覧
4.1 接続路線
5 関連項目
6 外部リンク




路線データ路線距離(営業キロ):4.3km
軌間:1435mm
駅数:11駅(起終点駅含む)
複線区間:全線複線
電化区間:全線電化(直流600V)

概要
1914年8月に開業。軌道敷設の特許を受けたのは別会社(とはいっても阪神電鉄の株式に半分の株を割り当てた)の北大阪電気軌道だったが、後に開業する阪神国道線と違い、工事に着手する前に阪神電鉄と合併し、阪神の路線として開業した。大淀区(現・北区)経由で大阪市街北部を半周し、梅田へ集まる各鉄道線を短絡する、準環状線としての性格を持っていた。

当時、沿線のほとんどは未開発地であったため、工事に当ってはまず道路を建設し、その上で軌道を敷設するという手法がとられた。この道路建設にも阪神が関わっていた事から、阪神は北大阪線が走る道路の所有権を長く主張していた。

戦後にお決まりのモータリゼーションに巻き込まれ、1975年5月、国道線・甲子園線全廃と運命を共にし、廃線となった。

軌間は標準軌(1435mm)、電圧は直流600V。車輌や塗色は国道線と同様。現在の阪神赤胴車(クリームと朱色)のそれをややくすませたような、ベージュと小豆色の2色塗りで、車輌では側窓の大きさから「金魚鉢」と親しまれた71形などが有名。

北大阪線のルートには現在、阪神バスが「北大阪線」として走っている(中津近辺では、一方通行のため一部で上下線ルートが異なる)。


沿革
1914年(大正3年)8月1日 野田~天神橋筋六丁目間開業。
1975年(昭和50年)5月6日 廃止。

停留所一覧
野田 - 海老江 - 上海老江 - 西大淀* - 大淀* - 東大淀* - 中津 - 北野 - 南浜 - 本庄中通 - 天神橋筋六丁目

注: *は、改称を経た駅名。


接続路線
野田:阪神本線、阪神国道線、大阪市営地下鉄千日前線
天神橋筋六丁目:阪急千里線、大阪市営地下鉄谷町線・堺筋線
中津:阪急神戸本線・宝塚本線(大阪市営地下鉄御堂筋線にはやや遠い)
接続路線は北大阪線廃止当時。その他、1949年までは北野で阪急北野線にも接続していた。


関連項目
阪神国道線
大淀区

外部リンク
阪神電鉄の路線について
66
 楼主| 发表于 2007-1-10 13:18 | 只看该作者
西鉄大牟田市内線 Encyclopedia

   


大牟田市内線(おおむたしないせん)は、かつて福岡県大牟田市の市内を走っていた西日本鉄道の軌道路線である。1927年に大牟田電気軌道の路線として開業したが、1952年1月6日に全線が休止となり、のち廃止された。


目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線




路線データ
営業休止直前のもの。

路線距離(営業キロ):4.7km
軌間:1435mm
駅数(起終点駅含む):12駅
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)

歴史
1922年 - 大牟田電気軌道設立
1927年12月1日 - 旭町~四ツ山道間開業
1941年3月31日 - 合併により九州鉄道の路線となる。
1942年9月22日 - 西日本鉄道発足により、同社の大牟田市内線となる。
1952年1月6日 - 全線休止
1954年3月15日 - 全線廃止

駅一覧
駅名は営業休止直前のもの

旭町駅 - 栄町駅 - 有明町駅 - 大牟田駅前駅 - 不知火町駅 - 警察署前駅 - 白金町駅 - 諏訪橋駅 - 三川町二丁目駅 - 三川町四丁目駅 - 三川町五丁目駅 - 四ツ山駅


接続路線
路線名は営業当時のもの

大牟田駅:鹿児島本線、西鉄大牟田線
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:18 | 只看该作者
西鉄北九州線 Encyclopedia

   


北九州線(きたきゅうしゅうせん)は、かつて福岡県北九州市門司区から八幡西区の間を走っていた西日本鉄道の軌道である。2000年に全線が廃止された。

なお、厳密には筑豊電気鉄道線のうち黒崎駅前駅~熊西駅間が北九州線に該当するが、この区間で西日本鉄道は第3種鉄道事業者であり、電車の運行には一切関与していないため、ここでは触れない。

西日本鉄道が同じく北九州市内で運行していた、戸畑線(とばたせん)・枝光線(えだみつせん)・北方線(きたがたせん)・田野浦線(たのうらせん)もここで扱う。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
3.1 備考




路線データ
路線距離(営業キロ):北九州線=29.3km(最大時)、戸畑線=5.5km、枝光線=4.8km、北方線=4.6km
軌間:北方線のみ1067mm、それ以外は1435mm
駅数(起終点駅含む):北九州線=55駅(最大時)、戸畑線=10駅、枝光線=9駅、北方線=12駅、田野浦線=11駅
複線区間:全線複線
電化区間:全線電化(直流600V)

歴史
1906年 - 北方線の一部が馬車鉄道として開通
1908年 - 九州電気軌道(西日本鉄道の前身)設立
1911年6月5日 - 北九州線(東本町~大蔵川間)開通
1912年 - 戸畑線が全線開通
1914年11月26日 - 北九州線が全線開通
1920年 - 小倉電気軌道が、北方線(香春口~北方間)を開通
1923年 - 枝光線(中央区~枝光駅前間)開通、田野浦線が全線開通
1927年 - 北方線が全線開通
1928年 - 枝光線(枝光駅前~牧山間)開通
1929年 - 枝光線が全線開通(全路線開業)
1936年 - 田野浦線廃止
1942年9月22日 - 九州電気軌道・小倉電気軌道などが陸上交通事業調整法により合併し、西日本鉄道発足。母体会社は九州電気軌道(本社・小倉市砂津)だが、小倉地区への戦災を恐れ、本社を福岡市西新に移転。
1953年10月27日 - 北九州線に連接車を導入
1956年3月21日 - 筑豊電気鉄道線開業、北九州線の電車が乗り入れ
1962年12月1日 - 北九州線に3連接車を導入
1970年8月20日 - 北九州線でワンマン運転開始
1980年11月1日 - 北方線廃止
1985年10月20日 - 戸畑線・枝光線・北九州線の一部(門司~砂津間)廃止
1986年6月16日 - 冷房車の導入開始
1992年10月25日 - 北九州線の一部(砂津~黒崎駅前間)廃止
2000年11月26日 - 北九州線廃止

駅一覧(駅名は廃止時点のもの)

北九州線
門司駅 - 東本町駅 - 鎮西橋駅(ちんぜいばし) - 桟橋通駅 - 広石駅 - 風師駅(かざし) - 葛葉駅 - 二タ松町駅(ふたまつちょう) - 片上駅 - 小森江駅 - 市立門司病院前駅 - 大里東口駅(だいりひがしぐち) - 大里駅(だいり) - 門司駅前駅 - 原町駅 - 社ノ木駅(しゃのき) - 新町駅 - 赤坂駅 - 上富野三丁目駅 - 上富野一丁目駅 - 砂津駅 - 米町駅 - 小倉駅前駅 - 魚町駅 - 室町駅 - 大門駅 - 竪町駅(たてまち) - 金田駅(かなだ) - 下到津駅(しもいとうづ) - 歯大前駅 - 到津遊園駅(いとうづゆうえん) - 遊園前バス営業所駅 - 昭和駅 - 七条駅 - 荒生田駅(あろうだ) - 三条駅 - 大蔵駅 - 上本町駅(かみほんまち) - 中央町駅 - 春の町駅 - 尾倉駅 - 八幡駅前駅 - 製鉄西門前駅 - 前田駅 - 桃園駅 - 陣山駅 - 紅梅駅 - 藤田駅 - 黒崎駅前駅 - 黒崎車庫前駅 - 西黒崎駅 - 熊西駅 - 皇后崎駅(こうがさき) - 陣の原駅(じんのはる) - 折尾東口駅 - 折尾駅
戸畑線
大門駅 - 日明駅(ひあがり) - 日明西口駅 - 中井口駅 - 中原駅(なかばる) - 工大前駅 - 三六駅(さんろく) - 幸町駅(さいわいまち) - 元宮町駅 - 戸畑駅(とばた)
枝光線
中央町駅 - 山王駅 - 枝光本町駅 - 枝光駅前駅 - 荒手駅 - 牧山駅 - 沖台通駅 - 浅生駅(あそう) - 幸町駅
北方線
魚町駅 - 旦過橋駅(たんがばし) - 市立小倉病院前駅 - 香春口駅(かわらぐち) - 三萩野駅(みはぎの) - 片野駅 - 城野駅前駅 - 富士見町駅 - 城野駅 - 北方車庫前駅 - 北方一丁目駅 - 北方駅
田野浦線
東本町駅 - 堀川町通駅 - 日ノ出町二丁目駅 - 日ノ出町四丁目駅 - 日ノ出町七丁目駅 - 日ノ出町九丁目駅 - 大久保越駅 - 大久保駅 - 住吉前駅 - 新開駅 - 田野浦駅

備考
門司駅・戸畑駅と、現在のJR門司駅・戸畑駅は大きく離れている。
北九州線・北方線の魚町駅は別個にあり、線路は接続していない。
北九州線・戸畑線の大門駅では、北九州線の折尾方向から戸畑線に進むことはできなかった。(その逆も同じ)
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:19 | 只看该作者
西鉄福岡市内線 Encyclopedia

   


福岡市内線(ふくおかしないせん)は、かつて福岡県福岡市の市内を走っていた西日本鉄道の軌道路線の総称である。1979年2月11日に全線が廃止された。

貫線(かんせん)・循環線(じゅんかんせん)・城南線(じょうなんせん)・呉服町線(ごふくまちせん)・貝塚線(かいづかせん)・吉塚線(よしづかせん)・築港線(ちっこうせん)の7路線があった。築港線は貨物線で国鉄の貨車を通すため1067mm軌間となっており、築港線と他線が重複する吉塚駅前~築港口間は1067mm軌間と1435mm軌間の3線方式であった。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
3.1 接続していた駅一覧
3.2 備考
4 外部リンク




路線データ(いずれも各路線の廃止時のデータ)

路線距離(営業キロ):貫線=11.9km、循環線=7.0km、城南線=5.0km、呉服町線=0.8km、貝塚線=3.3km、吉塚線=1.2km、築港線=3.0km
軌間:築港線のみ1067mm、それ以外は1435mm(ただし築港線と他線との並行区間は1067mmと1435mmの3線方式)
駅数(起終点駅含む):貫線=32駅、循環線=19駅、城南線=12駅、呉服町線=3駅、貝塚線=8駅、吉塚線=2駅
複線区間:
電化区間:全線電化(直流600V)

歴史
1909年 - 福博電気軌道設立(のち合併や社名変更などにより博多電灯軌道→九州電灯鉄道→関西電気→東邦電力となった)
1910年~1911年 - 福博電気軌道が大学前~今川橋間を開通
1910年 - 博多電気軌道設立(のち合併などにより九州水力電気→博多電気軌道(二代目)となった)
1911年~1914年 - 博多電気軌道、九州水力電気が循環線と築港線を全通させる
1911年 - 博多電気軌道が九州水力電気に合併される
1921年6月5日 - 九州電灯鉄道が九大前~馬出間を開通
1922年 - 九州電灯鉄道、関西電気に合併される(その後すぐ関西電気は東邦電力に社名変更)
1922年7月6日 - 九州水力電気が今川橋~姪の浜間を開通(貫線が全通)
1927年3月26日 - 九州水力電気が渡辺通一丁目~西新町間を開通(城南線が全通)
1929年5月1日 - 九州水力電気が福岡市内の軌道事業を分離し、博多電気軌道(二代目)が発足
1932年3月25日 - 博多電気軌道が地行西町~西新町間を東邦電力に譲渡
1934年11月1日 - 博多電気軌道と東邦電力が軌道事業を譲渡し、新会社「福博電車」を設立、福岡市内の軌道事業を一元化。
1942年9月22日 - 陸上交通事業調整法により福博電車が九州電気軌道ほか3社と合併し、西日本鉄道が発足
1954年 - 2両連接車(1000形)導入
1954年2月1日 - 宮地岳線西鉄博多~貝塚間を1435mm軌間に改築・複線化し、貝塚線として福岡市内線に編入
1959年3月3日 - 築港線の一部(吉塚駅前~三角間)廃止
1961年2月11日 - 築港線(三角~博多築港間)全線休止(廃止は1964年9月1日。実態は築港口~博多築港間のみ軌道撤去、他区間は3線軌道の廃止)
1964年7月1日 - 博多駅移転のため博多駅前→馬場新町と改称し、循環線新線(馬場新町~博多駅前~住吉宮前間)を開通(この時点では旧線も残存)
1964年12月7日 - 循環線旧線(馬場新町~管絃町~住吉宮前間)廃止
1973年1月5日 - 吉塚線廃止
1975年11月2日 - 貫線、城南線、呉服町線廃止
1979年2月11日 - 循環線、貝塚線廃止により、福岡市内線全線廃止

駅一覧(駅名は廃止時点のデータ)

貫線
九大前駅 - 網屋町駅 - 箱崎駅 - 馬出駅(まいだし) - 東車庫前駅 - 大学病院前駅 - 千代町駅 - 蓮池駅 - 呉服町駅 - 土居町駅 - 川端町駅 - 東中洲駅 - 県庁前駅 - 天神駅 - 西鉄グランドホテル前駅 - 大名二丁目駅 - 赤坂門駅 - 平和台駅 - 大手門駅 - 荒戸一丁目駅 - 西公園駅 - 地行駅 - 今川橋駅 - 西新駅 - 防塁前駅 - 藤崎駅 - 早良口駅 - 室見橋駅 - 愛宕下駅 - 竹の山四丁目駅 - 姪の浜駅
循環線
千鳥橋駅 - 千代町駅 - 福高前駅 - 緑橋駅 - 祇園町駅 - 博多駅前駅 - 駅前四丁目駅 - 住吉駅 - 柳橋駅 - 渡辺通一丁目駅 - 渡辺通二丁目駅 - 渡辺通四丁目駅 - 天神駅 - 那の津口駅 - 市民会館前駅 - 対馬小路駅(つましょうじ) - 石城町駅 - 博多築港前駅 - 千鳥橋駅
城南線
渡辺通一丁目駅 - 城東橋駅 - 薬院大通駅 - 南薬院駅 - 動物園入口駅 - 練塀町駅 - 六本松駅 - 草香江駅 - 大濠駅 - 鳥飼駅 - 城西橋駅 - 西新駅
呉服町線
呉服町駅 - 奥の堂駅 - 祇園町駅
貝塚線
千鳥橋駅- 馬出三丁目駅 - 浜松町駅 - 箱崎浜駅 - 網屋立筋駅 - 箱崎松原駅 - 九大中門駅 - 貝塚駅
吉塚線
千代町駅 - 妙見駅 - 吉塚駅前駅

接続していた駅一覧
(呼称はすべて福岡市内線廃止当時の呼称)

博多駅前駅:国鉄博多駅
天神駅:西鉄大牟田線福岡駅
城東橋駅:西鉄大牟田線薬院駅
貝塚駅:西鉄宮地岳線貝塚駅
吉塚駅前駅:国鉄吉塚駅

備考
箱崎駅は、現在のJR箱崎駅と遠く離れた場所にあった。
姪の浜駅は、現在のJR・福岡市交通局姪浜駅と遠く離れた場所にあった。
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:20 | 只看该作者
都電杉並線 Encyclopedia

   


都電杉並線(とでんすぎなみせん)は、西武鉄道の西武軌道線(せいぶきどうせん)から東京都交通局へ譲り渡され、都電として運営されていたものであり、新宿付近と荻窪付近を結んでいた路線である。

青梅街道上を走っており、同じく青梅街道地下に建設され、1962年開通の地下鉄丸ノ内線(旧・荻窪線)と競合のため、早い時期の1963年廃止。都電では唯一、線路幅が狭軌だった。旧都電杉並車庫の現在は都営バス早稲田自動車営業所杉並支所となっている。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 車両
6 参照




路線データ
軌間 : 1067mm
路線距離 : 7.3km
駅数 : 19駅(最終時)
複線区間 :
電化区間 : 全線

歴史
1921年8月26日:西武軌道により、淀橋町角筈-荻窪村間を開業。
同年10月1日:西武軌道、武蔵水電に合併。
1922年6月1日:武蔵水電、帝国電燈に合併。
同年10月1日:帝国電燈、西武鉄道(旧社)に鉄軌道事業を譲渡。
1935年12月27日:西武鉄道(旧社)、東京乗合自動車(青バス)に新宿軌道線の経営を委託。
1938年4月25日:青バス、東京地下鉄道に吸収合併される。
同社は引き続き西武鉄道(旧社)から新宿軌道線の経営を受託する。
1942年2月1日:東京市が東京地下鉄道から新宿軌道線の運営管理を引き継ぐ。
1943年7月1日:東京都制施行。東京市電気局を東京都交通局に改組。
1951年4月5日:西武鉄道(西武鉄道(旧社)を合併)より正式に同社新宿軌道線を買収。杉並線とする。
1963年12月1日:杉並線 新宿駅前-荻窪駅前間、地下鉄丸ノ内線と競合のため廃止。

駅一覧
最終時点。カッコ内は現在の丸ノ内線の近接駅。

新宿駅前(新宿):角筈(つのはず)とも言った。当初は現在のスタジオアルタ脇にあったが、戦後新宿大ガード手前まで後退。当初の場所から後退部分までの箇所は東京都には譲られず、現在も西武の免許路線として存置。
柏木一丁目
成子坂下(西新宿)
本町通二丁目(中野坂上)
本町通三丁目
鍋屋横丁(新中野)
本町通五丁目
本町通六丁目
高円寺一丁目(東高円寺)
高円寺二丁目
蚕糸試験場前
杉並車庫前(新高円寺)
馬橋一丁目
馬橋二丁目
阿佐ヶ谷
杉並区役所前(南阿佐ヶ谷)
成宗
天沼
荻窪駅前(荻窪):当初は荻窪駅南口にあったが、のち天沼陸橋を越え荻窪駅北口に変更。

接続路線
車両2000形
2500形

参照
西武鉄道
東京都電
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:21 | 只看该作者
茨城交通水浜線 Encyclopedia

   


水浜線(すいひんせん)は、かつて茨城県の水戸市と那珂湊市(現在のひたちなか市)を結んでいた、茨城交通の路面電車である。1966年に全線が廃止された。

併用軌道と専用軌道が混在していて、水戸駅前と上水戸が接続駅となっていた。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線




路線データ
路線距離:20.5km
軌間:1,067mm
駅数:36駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)

歴史
1920年4月27日 水戸海浜電気軌道、大工町-磯浜間の軌道免許申請、同年8月30日免許取得。
1921年8月14日 水戸海浜電車設立。本社は水戸市柵町。
1922年12月28日 浜田-磯浜間が開通。
1923年7月1日 浜田-根積町が開通。
1923年11月5日 根積町-東柵町間が開通。
1924年7月22日 東柵町-郵便局前間が開通。
1925年2月26日 郵便局前-大工町間が開通。
1926年12月14日 磯浜-祝町間が開通。
1927年2月3日 祝町-海門橋が開通。
1927年5月27日 大工町-上水戸間が開通。
1928年7月10日 上水戸-袴塚間が開通。
1930年11月22日 海門橋-湊間が開通。
1938年 水害で海門橋(駅ではなく、祝町-湊間の那珂川にかかる同名の橋)流出により、祝町-湊間が休止(そのまま廃止)。
1944年 谷中光台寺-上水戸間が開通(光台寺裏-袴塚間が廃止)。
1944年8月1日 県内交通統合で、水浜電車、茨城鉄道、湊鉄道などが合併し、茨城交通発足。
1944年8月2日 水戸空襲。8月5日浜田-磯浜間が運転再開。(10月1日までに全線復旧)
1945年 大洗-海門橋間で軌道撤去。
1952年2月1日 上水戸-大洗間で直通運転開始。
1954年 茨城線に乗り入れ運転認可。
1956年1月20日 茨城線、上水戸-大学前に乗り入れ開始。
1962年 バス交通への転換を表明。
1965年6月11日 上水戸-水戸駅前間で営業廃止。
1966年6月1日 全線で営業廃止。
現在は、[50]茨大前~栄町~水戸駅~三高下~大洗~那珂湊が、ほぼ同じルートを走る路線バスである。

駅一覧
上水戸-谷中-馬口労町入口-砂久保-公園口-大工町-泉町三丁目-泉町広小路-南町三丁目-郵便局前-水戸駅前-本社前-三高下-一高下-東柵町-本一丁目-本三丁目-本五丁目-浜田-谷田-六反田-栗崎-東前-大串-塩ヶ崎-平戸-磯浜-大貫-曲松-仲町-東光台-大洗-祝町-願入寺入口-海門橋-湊


接続路線
上水戸:茨城交通茨城線
水戸駅前:常磐線
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:21 | 只看该作者
静岡鉄道清水市内線 Encyclopedia

   


清水市内線(しみずしないせん)は、かつて静岡県清水市(市町村合併により、現在は静岡市清水区)内の港橋と横砂を結んでいた静岡鉄道の路面電車。

もともとは静岡清水線の一部として、1928年に港橋-江尻新道(現在の新清水)間が開業。翌1929年江尻新道-横砂間が開業するが、路線は東海道本線の線路で分断され、踏切による連絡を余儀なくされていた。1933年に東海道本線を跨ぐ跨線橋が完成して全通。かつては港橋より江尻新道から静岡清水線経由で鷹匠町(現在の新静岡)を経て静岡市内線まで直通運転されていて、静鉄成立後も三線を総じて「静岡線」と称していた。1975年廃止。




目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 その他
6 関連項目




路線データ
※1974年の一部区間休止前時点のもの。

路線距離:4.6km
軌間:1067mm
複線区間:港橋-西久保間(併用軌道)
電化区間:全線(直流600V)




歴史
1928年(昭和3年)12月25日 静岡電気鉄道の手により江尻新道-港橋間開業。
1929年(昭和4年)4月1日 港橋-安西間直通運行開始。
1929年(昭和4年)7月24日 江尻新道-横砂間開業。
1933年(昭和8年)3月29日 江尻跨線橋架設に伴い全通。
1943年(昭和18年)5月15日 静岡電気鉄道、藤相鉄道、中遠鉄道などが戦時統合して静岡鉄道となる。
1945年(昭和20年)12月1日 静岡清水線が地方鉄道法による鉄道に変更され、法規上分離される。
1951年(昭和26年)7月21日 西久保-袖師間、専用軌道に移設。
1974年(昭和49年)7月7日 七夕豪雨による被災に伴い、西久保-横砂間休止。
1975年(昭和50年)3月22日 休止区間も含め、全線廃止。

駅一覧
港橋駅 - 万世町駅 - 市役所前駅 - 新清水駅 - 仲浜町駅 - 清水駅前駅 - 辻町駅 - 秋葉道駅 - 西久保駅 - 愛染町駅 - 嶺駅 - 鈴木島駅 - 袖師駅 - 横砂駅


接続路線
清水駅前駅:国鉄東海道本線(清水駅)
新清水駅:静岡鉄道静岡清水線

その他
単線区間である西久保-横砂間は専用軌道であり、東海道本線と併走していた。途中にあった庵原川橋梁の被災が同線の寿命に止めを刺した。
車庫は横砂駅構内にあったが、何故か殆どの車両は静岡清水線の新清水駅の2番線と3番線(留置線。現存せず)に留置されていた。
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:22 | 只看该作者
静岡鉄道秋葉線 Encyclopedia

   


秋葉線(あきはせん)は、静岡県袋井市の国鉄袋井駅前から周智郡森町の遠州森町までを結んでいた静岡鉄道(静鉄)の軌道線(路面電車)。森町出身といわれる「森の石松」に因み「石松電車」の名でも親しまれた。

目次
1 路線データ
2 運行概況
3 停留所
4 接続路線
5 歴史
6 関連項目




路線データ
※特記なければ1962年9月の廃止時点のもの

路線距離(営業キロ):12.1km
軌間:1067mm(当初762mm)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)

運行概況
所要時間:袋井駅前(後、新袋井)~遠州森町間43分、可睡口~可睡間3分(1940年3月改正時)
運行間隔:全区間ほぼ毎時1・2本(1940年3月改正時)

停留所※廃止時点のもの

新袋井 - 袋井町 - 永楽町 - 一軒家 - 可睡口 - 平宇 - 山科学校前 - 下山梨 - 山梨 - 市場 - 天王 - 飯田 - 観音寺 - 福田地 - 戸綿口 - 森川橋 - 遠州森町

また、1945年1月に休止された可睡支線(1.1km)の停留所は以下の通り。

可睡口 - 可睡


接続路線
新袋井:国鉄東海道本線・静岡鉄道駿遠線(袋井駅)

歴史
1902年(明治35年)12月28日 秋葉馬車鉄道により、笠西村(後、袋井駅前→新袋井)~遠州森町間が軌間762mmの馬車鉄道線として開業。
1911年(明治44年)12月28日 可睡支線開通。
1924年(大正13年)3月13日 秋葉馬車鉄道から組織変更していた秋葉鉄道は、駿遠電気と合併して静岡電気鉄道となる。
1925年(大正14年) 新袋井~可睡間を、軌間1067mmの電気鉄道へ改める。
1926年(大正15年)12月25日 全線の改軌と電化完成。
1943年(昭和18年)5月15日 静岡電気鉄道は陸上交通事業調整法に基づく戦時統合で、静岡鉄道となる。
1944年(昭和19年)12月7日 東南海地震により、全線が大きな被害を受ける。
1945年(昭和20年)1月31日 可睡支線、可睡口~可睡間を休止(後廃止)。
1962年(昭和37年)9月20日 全線をバスに転換して廃止。
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:24 | 只看该作者
静岡鉄道静岡市内線 Encyclopedia

   


静岡市内線(しずおかしないせん)は、かつて静岡県静岡市葵区内の静岡駅前と安西を結んでいた静岡鉄道の路面電車。

もともとは静岡清水線の一部として、1922年に静岡駅前-鷹匠町(現在の新静岡)間が開業。その後、順次延伸し、1929年には静岡駅前・安西間が全通した。かつては安西から鷹匠町より静岡清水線経由で清水相生町(現在の新清水)を経て清水市内線の港橋までの系統と静岡駅前-鷹匠町間の系統で運行されており、静鉄成立後も三線を総じて「静岡線」と称していた。1962年廃止。




目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
※路線廃止時点のもの。

路線距離:2.0km
軌間:1067mm
電化区間:全線(直流600V)




歴史
1922年(大正11年)6月28日 東海道線静岡駅と鷹匠町駅間の連絡のため、静岡電気鉄道の手により開通。
1925年(大正14年)8月5日 鷹匠町-中町間開業。
1926年(昭和元年)12月29日 呉服町-安西間開業。
1929年(昭和4年)4月1日 中町-呉服町間開通で全通。
1943年(昭和18年)5月15日 静岡電気鉄道、藤相鉄道、中遠鉄道などが戦時統合して静岡鉄道となる。
1945年(昭和20年)12月1日 静岡清水線が地方鉄道法による鉄道に変更され、法規上分離される。
1946年(昭和21年)3月21日 呉服町-安西間休止。
1946年(昭和21年)12月27日 静岡駅前-呉服町間の運行となり、静岡清水線と完全分離。
1949年(昭和24年)7月10日 呉服町-安西間再開。
1962年(昭和37年)9月15日 全線廃止。

駅一覧
静岡駅前駅 - 新静岡駅 - 県庁前駅 - 中町駅 - 呉服町駅 - 金座町駅 - 茶町駅 - 安西駅


接続路線
静岡駅前駅:国鉄東海道本線(静岡駅)
新静岡駅:静岡鉄道静岡清水線
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:27 | 只看该作者
勝田線 Encyclopedia

   


勝田線(かつたせん)とは、福岡県福岡市博多区の吉塚駅と同県糟屋郡宇美町の筑前勝田駅とを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。1980年の国鉄再建法施行にともない第1次特定地方交通線に指定され、1985年に全線が廃止された。

沿線は、福岡市近郊の住宅地が途切れることなく続いており、博多駅に直結しているなど好条件が揃っていた。しかし、国鉄はこの路線の利便性向上に取り組まなかったため、並行する路線バス(西鉄バス)などに乗客を奪われ、成績は振わなかった。そのため、国鉄のローカル線に対する無為無策ぶりを示す実例としてしばしば引用される。

目次
1 路線データ(廃止時)
2 通過市町村
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 線路跡の現況




路線データ(廃止時)
管轄:日本国有鉄道
区間(営業キロ):吉塚~筑前勝田 13.8km(吉塚駅構内の1.5kmで篠栗線と線路を共用)
軌間:1067mm
駅数:7駅(起点駅を含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:

通過市町村福岡市、粕屋町、志免町、宇美町(ただし粕屋町内に駅はなかった)


歴史
沿線から産出する石炭の輸送と宇美八幡宮参詣客の輸送のため、筑前参宮鉄道(ちくぜんさんぐうてつどう)が敷設した鉄道路線で、1918年に末端部が貨物線として開業、翌年に全線が開業し旅客営業を開始した。1942年には、陸上交通事業調整法により九州電気鉄道(現在の西日本鉄道)に合併され同社の宇美線(うみせん)となったが、1944年に戦時買収により同社の糟屋線(香椎線)とともに国有化され、勝田線となった。宇美駅は、香椎線・勝田線がそれぞれ別の駅施設を有していたが、これは両線がもともと別の私鉄として建設された経緯による。

沿線の糟屋炭田から産出する石炭の輸送で賑わったが、同炭田が閉山すると衰退していった。その後、沿線は福岡市のベッドタウンとして人口が増加していったにもかかわらず、国鉄は1日6往復(休日は7往復)という不便なダイヤを放置した。国鉄は合理化のために本数の減便を行っており、利便向上のための増発という発想は最末期まで無かった。このような国鉄の無策ぶりも手伝って、勝田線の輸送量が回復することはなかった。

余談であるが、博多~吉塚~志免~酒殿~香椎~博多間でデルタ線を形成しており、客車時代の特急列車の方向転換にも使用された。

1918年9月19日 【開業】筑前参宮鉄道(貨物線) 宇美~筑前勝田(2.8km) 【駅開業】(貨)宇美、(貨)筑前勝田
1919年5月20日 【延伸開業・全通】吉塚~新宇美(10.6km) 【旅客営業開始】新宇美~筑前勝田(2.8km) 【駅新設】上亀山、新志免 【駅名改称】宇美→新宇美
1919年10月12日 【駅新設】南里(停留場)、下宇美(停留場)
1919年12月1日 【駅名改称】新宇美→上宇美
1925年10月15日 【改キロ】吉塚~上亀山(+0.4km)
1932年12月25日 【駅新設】田富(停留場)、大谷(停留場)
1936年~1937年頃 【駅名改称】下宇美→宇美八幡
1941年4月?日 【駅新設】御手洗
1942年9月19日 【合併】九州電気鉄道宇美線 【駅名改称】新志免→志免(博多湾鉄道汽船(糟屋線)志免駅を併合)、上宇美→宇美(香椎線宇美駅に併合) 【駅→信号場・改称】宇美八幡→下宇美
1942年9月21日 【社名改称】西日本鉄道宇美線
1944年5月1日 【買収・国有化】勝田線 吉塚~筑前勝田 【駅廃止】南里、田富、大谷 【駅名改称】上宇美→宇美(香椎線宇美駅に併合)
1950年1月10日 【信号場→駅】下宇美
1965年10月1日 【貨物営業廃止】宇美~筑前勝田(-2.8km)
1981年7月30日 【貨物営業廃止】志免~宇美(-3.7km)
1981年9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
1985年1月1日 【貨物営業廃止】吉塚~志免(-7.3km)
1985年4月1日 【廃止】全線(-13.8km)。バス転換

駅一覧
吉塚駅 - 御手洗駅 - 上亀山駅 - 志免駅 - 下宇美駅 - 宇美駅 - 筑前勝田駅


接続路線
吉塚駅 : 鹿児島本線、篠栗線
志免駅 : 香椎線(貨物支線)
宇美駅 : 香椎線

線路跡の現況
篠栗線と並行していた区間は現在でも路盤がそのまま残っている。一部は保線機械留置用の線路に転用された。また篠栗線と分岐する位置には柚須駅が新設された。

志免・宇美両町内の区間は、大半が遊歩道となっている。志免駅はホームや線路が保存され、鉄道公園として整備された。
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 楼主| 发表于 2007-1-10 13:28 | 只看该作者
唐津線 Encyclopedia

   


唐津線(からつせん)は、佐賀県佐賀郡久保田町の久保田駅から佐賀県唐津市の西唐津駅に至る九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(地方交通線)である。

筑紫平野から笹原峠を越え、厳木川・松浦川に沿って走っている地域輸送路線。唐津炭田などから採掘された石炭を唐津港へ運ぶために建設された。

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 使用車両
3.1 唐津線全線
3.2 電化区間(唐津-西唐津間)
4 歴史
5 駅一覧
5.1 営業中の区間
5.2 廃止区間
6 接続路線
7 関連項目




路線データ
管轄(事業種別):九州旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):42.5km
軌間:1067mm
駅数:13駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:久保田~唐津間非電化、唐津~西唐津間電化(直流1500V)

運行形態
佐賀~唐津・西唐津間に運転されている列車は全て普通列車で、ワンマン運転を実施している。山本~唐津・西唐津間には筑肥線の伊万里方面の列車、西唐津~唐津間には筑肥線の博多方面の列車が乗り入れている。


使用車両
唐津線全線
キハ40・キハ47
キハ125

電化区間(唐津-西唐津間)
103系1500番台
303系

歴史
唐津炭田などから産出される石炭を唐津港に輸送するために唐津興業鉄道(1900年、唐津鉄道に改称)により建設された鉄道で、長崎本線と接続する久保田側からではなく、唐津側から順次延伸されている。全通は、九州鉄道に合併された後の1903年である。1907年に鉄道国有法により九州鉄道が買収・国有化され、官設鉄道となった。久保田~西唐津間の本線の他に多くの貨物支線を有したが、すでにすべてが廃止されている。そのうちの山本~岸嶽間(岸嶽支線)は、赤字83線廃止の取組みにより廃止されたものである。

筑肥線の博多方面との接続駅は筑肥線の前身である北九州鉄道が延伸された1929年以来、山本駅であったが、筑肥線の経路が1983年に変更され唐津駅接続となり、筑肥線の姪浜~唐津間とともに唐津線の唐津~西唐津間も直流電化され福岡市地下鉄空港線との直通運転が開始された。

1898年12月1日 【開業】唐津興業鉄道 山本~妙見~大島 【駅新設】山本、唐津、妙見、(貨)大島
1899年6月13日 【延伸開業】厳木~山本 【駅新設】相知、本山、厳木、鬼塚
1899年12月25日 【延伸開業】莇原~厳木 【駅新設】厳木
1900年4月?日 【社名変更】唐津興業鉄道→唐津鉄道
1902年2月23日 【合併】唐津鉄道→九州鉄道
1903年4月18日 【貨物支線開業】 莇原~柚ノ木原 【駅新設】(貨)柚ノ木原
1903年11月1日 【駅名改称】本山→岩屋
1903年12月14日 【延伸開業・全通】久保田~莇原 【駅新設】小城、別府
1905年10月11日 【駅名改称】妙見→西唐津
1905年10月22日 【貨物支線開業】 相知貨物支線分岐点~相知 【駅新設】(貨)相知 ※本線の相知とは別駅
1907年7月1日 【買収・国有化】九州鉄道→官設鉄道
1909年1月1日 【貨物支線開業】山本~鹿ノ口 【駅新設】(貨)鹿ノ口 【駅名改称】(貨)相知→相知炭坑
1909年10月12日 【国有鉄道線路名称制定】唐津線 久保田~西唐津及び貨物支線(莇原~柚ノ木原、相知炭坑分岐点~相知炭坑、山本~鹿ノ口、西唐津~大島)
1911年6月1日 【駅名改称】別府→東多久
1912年1月17日 【貨物支線開業】山本~岸嶽 【駅新設】(貨)牟田部、(貨)岸嶽
1912年1月26日 【貨物支線廃止】山本~鹿ノ口 【駅廃止】(貨)鹿ノ口
1912年9月21日 【旅客営業開始】山本~岸嶽 【貨物駅→一般駅】牟田部、岸嶽
1930年4月1日 【貨物支線起点変更】中相知信号場→山本(+5.4km)
1934年4月1日 【駅名改称】莇原→多久
1960年2月1日 【駅新設】本牟田部
1964年4月1日 【駅新設】中多久
1967年12月1日 【貨物支線廃止】 多久~柚ノ木原(-1.4km) 【駅廃止】(貨)柚ノ木原
1971年8月20日 【支線廃止】山本~岸嶽(-4.1km) 【駅廃止】牟田部、岸嶽
1978年10月1日 【貨物支線廃止】 山本~相知炭坑(-6.1km) ※実際は中相知信号場~相知炭坑間(0.7km)の廃止 【駅廃止】(貨)相知炭坑
1982年11月15日 【貨物支線廃止】 西唐津~大島 【駅廃止】(貨)大島
1983年3月22日 【電化】唐津~西唐津(直流1500V)
1986年11月1日 【貨物営業廃止】久保田~西唐津(-42.5km)
1987年4月1日 【承継】九州旅客鉄道

駅一覧
営業中の区間
久保田駅 - 小城駅 - 東多久駅 - 中多久駅 - 多久駅 - 厳木駅 - 岩屋駅 - 相知駅 - 本牟田部駅 - 山本駅 - 鬼塚駅 - 唐津駅 - 西唐津駅


廃止区間
多久駅 - (貨)柚ノ木原駅

山本駅 - (貨)相知炭坑駅

山本駅 - 牟田部駅 - 岸嶽駅

西唐津駅 - (貨)大島駅


接続路線
久保田駅:長崎本線
山本駅:筑肥線(伊万里方面)
唐津駅:筑肥線(姪浜方面)
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