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日本铁道简介(日语资料)(来自日本百科事典)

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 楼主| 发表于 2007-1-10 19:02 | 只看该作者
天塩炭砿鉄道 Encyclopedia

   


天塩炭礦鉄道(てしおたんこうてつどう)は、北海道北西部に鉄道路線を有した民営鉄道である。

北海道炭鉱汽船(北炭)が北炭天塩鉱の石炭を留萌港へ運ぶためにされた。同じ留萌炭田に既に留萠鉄道があったため、旧国名の天塩を路線名に用いた。会社設立時は天塩鉄道と称したが、1959年に改称。1967年に鉄道路線を廃止し、天塩鉄道バスとなった。会社自体はてんてつバスとして現存している。

目次
1 鉄道路線
2 駅一覧
2.1 接続線
3 通過する自治体
4 関連する炭鉱
5 沿革
6 関連項目




鉄道路線
区間(営業キロ):留萠~達布 25.4km
軌間:1067mm
駅数:8
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式

駅一覧
留萠駅 - 春日町駅 - 桜山駅 - 天塩本郷駅 - 沖内駅 - 寧楽駅 - 天塩住吉駅 - 達布駅


接続線
留萠駅:留萠本線、羽幌線
達布駅:達布森林鉄道

通過する自治体
留萌市
小平町

関連する炭鉱
北炭天塩鉱
住吉炭鉱
日新炭鉱
天塩炭鉱

沿革
1939年5月8日 会社設立
1941年12月14日 【開業】留萠~天塩本郷
1942年8月1日 【延伸開業】天塩本郷~達布
1959年5月30日 【社名改称】 天塩鉄道→天塩炭礦鉄道
1967年7月31日 【廃止】全線(-25.4km)。天塩鉄道バス株式会社に社名変更

関連項目
てんてつバス
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 楼主| 发表于 2007-1-10 19:03 | 只看该作者
天北線 Encyclopedia

   


天北線(てんぽくせん)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)/日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道中川郡音威子府村(上川支庁管内)の音威子府駅で宗谷本線から分岐し、宗谷支庁管内の枝幸郡浜頓別町等を経て稚内市の南稚内駅で再び宗谷本線に接続する。国鉄再建法の制定にともない第2次特定地方交通線に指定され、1989年に廃止された。

線名は、敷設されている地域の旧国名、「天塩国」と「北見国」から採られている。

目次
1 路線データ(廃止時)
2 歴史
3 運転
4 接続路線
5 駅一覧




路線データ(廃止時)
管轄:北海道旅客鉄道(第一種鉄道事業)
路線距離(営業キロ):音威子府~浜頓別~南稚内 148.9km
駅数:30(起終点駅を含む)
軌間:1067mm
全線単線
電化方式:全線非電化
閉塞方式:タブレット閉塞式(併合閉塞は票券閉塞式)
交換可能駅数:7(小頓別、敏音知、中頓別、浜頓別、鬼志別、曲淵、声問)
猿払、樺岡は交換設備があったが撤去。また、小石には交換設備がなかったが、以前は閉塞の取り扱いを行っていた。

歴史
現在ロシア占領下の樺太(サハリン)への連絡鉄道として建設された宗谷本線の最初のルートである。1922年に稚内まで全通した後、1926年にかけて天塩線が幌延経由のルートで全通すると、1930年に距離の短い天塩線が宗谷本線に編入され、浜頓別経由のルートは北見線(きたみせん)として分離された。

1961年、北見市の誕生にともなって、乗客の混乱を防ぐため、天北線に改称された。(天北線は北見市を通らない。)

1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるとして他の3線(名寄本線、池北線、標津線)とともに一時、廃止承認が留保された。しかし、結局1985年に問題がなくなったとして追加廃止承認され、国鉄分割民営化後の1989年に廃止された。

1914年11月7日 【延伸開業】宗谷線音威子府~小頓別(15.6km) 【駅新設】上音威子府、小頓別
1916年10月1日 【延伸開業】小頓別~中頓別(26.8km) 【駅新設】敏音知、松音知、中頓別
1918年8月25日 【延伸開業】中頓別~浜頓別(19.0km) 【駅新設】下頓別、浜頓別
1919年10月20日 【線名改称】宗谷線→宗谷本線
1919年11月1日 【延伸開業】浜頓別~浅茅野(15.2km) 【駅新設】山軽、浅茅野
1920年11月1日 【延伸開業】浅茅野~鬼志別(17.1km) 【駅新設】猿払、芦野、鬼志別
1921年10月5日 【線名改称】宗谷本線→宗谷線
1922年11月1日 【延伸開業】鬼志別~稚内(現在の南稚内)(56.2km) 【駅新設】小石、曲淵、沼川、樺岡、幕別、声問、稚内
1922年11月4日 【線名改称】宗谷線→宗谷本線
1926年9月25日 天塩線(音威子府~幌延~稚内)全通
1928年12月26日 【延伸開業】稚内~稚内港(現在の稚内)
1930年4月1日 【区間分離・線名改称】天塩線を宗谷本線に編入し、音威子府~浜頓別~稚内間(149.9km)を分離。宗谷本線→北見線
1936年7月10日 【支線開業】興浜北線
1939年2月1日 【駅名改称】稚内→南稚内(同時に稚内港→稚内)
1944年11月1日 【支線休止】興浜北線
1945年12月5日 【支線復活】興浜北線
1952年11月6日 【改キロ】声問~南稚内(-1.0km) - 南稚内駅移転による
1955年12月2日 【仮乗降場新設】上駒、寿、常盤、飛行場前、宇遠内
1956年5月1日 【仮乗降場新設】恵野、周磨
1956年11月19日 【仮乗降場新設】安別
1959年11月1日 【仮乗降場新設】新弥生
1961年4月1日 【線名改称】北見線→天北線
1963年10月1日 【駅名改称】幕別→恵北
1965年10月?日 【仮乗降場廃止】天北栄(上音威子府~小頓別間。新設日不明)
1967年10月1日 【仮乗降場廃止】北頓別(浜頓別~山軽間。新設日不明)
1984年2月1日 【貨物営業廃止】全線
1985年7月1日 【支線廃止】興浜北線
1985年8月2日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1987年4月1日 【承継】日本国有鉄道→北海道旅客鉄道 【仮乗降場→駅】恵野、周磨、上駒、寿、新弥生、常盤、安別、飛行場前、宇遠内
1987年6月1日 【臨時駅設置】東声問(恵北~声問間。この日のみ営業)
1987年12月1日 【駅→臨時駅】上音威子府(12月1日~翌年3月31日休止)
1989年5月1日 【路線廃止】全線。宗谷バスにバス転換

運転廃止まで、札幌~稚内間の急行「天北」が運転されていた。廃止後は宗谷本線経由に変更され、急行「宗谷」に編入された後、1992年7月から急行「サロベツ」と改称した。


接続路線
音威子府駅:宗谷本線
浜頓別駅:興浜北線 - 1985年7月1日廃止
南稚内駅:宗谷本線

駅一覧
音威子府駅 - (臨)上音威子府駅 - 小頓別駅 - 上頓別駅 - 恵野駅 - 敏音知駅 - 周磨駅 - 松音知駅 - 上駒駅 - 中頓別駅 - 寿駅 - 新弥生駅 - 下頓別駅 - 常盤駅 - 浜頓別駅 - 山軽駅 - 安別駅 - 飛行場前駅 - 浅茅野駅 - 猿払駅 - 芦野駅 - 鬼志別駅 - 小石駅 - 曲淵駅 - 沼川駅 - 樺岡駅 - 恵北駅 - 声問駅 - 宇遠内駅 - 南稚内駅
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:05 | 只看该作者
幸袋線 Encyclopedia

   


幸袋線(こうぶくろせん)は、福岡県鞍手郡小竹町の小竹駅と二瀬駅の間を結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線。赤字83線に指定され1969年に廃止された。

目次
1 路線データ(最終時)
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線




路線データ(最終時)
路線距離(営業キロ):
小竹~二瀬 7.6km
幸袋~伊岐須 2.5km(貨物支線。幸袋~川津信号場(1.6km)は本線と重複)
軌間:1067mm
駅数:5駅(起点駅含む。他に貨物駅1。信号場1)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:スタフ閉塞式(全線1閉塞)

運行形態
廃止直前では、小竹~二瀬間に普通列車が4往復運転されていた。


歴史
1894年12月28日 【開業】筑豊鉄道 小竹~幸袋、貨物支線(幸袋~幸袋炭坑) 【駅新設】幸袋、(貨)幸袋炭坑
1897年10月1日 【合併】九州鉄道
1899年12月26日 【貨物支線開業】幸袋~潤野、伊岐須分岐点~伊岐須 【駅新設】(貨)潤野、(貨)伊岐須
1901年3月31日 【貨物支線廃止】幸袋~幸袋炭坑 【駅廃止】(貨)幸袋炭坑
1903年11月28日 【貨物支線開業】目尾分岐点~目尾 【駅新設】(貨)目尾
1907年7月1日 【買収・国有化】官設鉄道
1908年3月28日 【貨物支線開業(延伸)】幸袋~潤野 【駅新設】(貨)潤野
1909年1月1日 【貨物支線開業】高雄分岐点~高雄、潤野~枝国 【駅新設】(貨)庄司、(貨)高雄、(貨)枝国
1909年10月12日 【国有鉄道線路名称制定】幸袋線 小竹~幸袋、貨物支線(目尾分岐点~目尾、高雄分岐点~高雄、潤野~枝国) 
1913年11月25日 【旅客営業開始】幸袋~二瀬 【駅名改称】(貨)潤野→二瀬 【分岐点→聯絡所・改称】伊岐須→川津
1920年4月11日 【貨物支線廃止】目尾分岐点~目尾(目尾駅構内に併合) 【旅客営業開始】目尾(本線上に移設)
1922年4月1日 【聯絡所→信号場】川津
1930年4月1日 【貨物支線起点変更】川津信号場~伊岐須→幸袋~伊岐須
1945年6月10日 【貨物支線廃止】高雄分岐点~高雄(幸袋駅構内に併合) 【駅廃止】(貨)庄司、(貨)高雄
1959年12月1日 【駅新設】新二瀬
1965年10月1日 【貨物支線廃止】二瀬~枝国 【駅廃止】(貨)枝国 
1968年8月 赤字83線に選定される。
1969年12月8日 【路線廃止】小竹~二瀬、貨物支線(幸袋~伊岐須)

駅一覧
小竹駅 - 目尾駅(しゃかのお) - 幸袋駅 - 川津信号場 - 新二瀬駅 - 二瀬駅

幸袋駅 - 川津信号場 - (貨)伊岐須駅(いきす)

※名称は1969年廃止時点のもの。


接続路線
小竹駅:筑豊本線
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:09 | 只看该作者
士幌線 Encyclopedia

   


士幌線(しほろせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道帯広市(十勝支庁管内)の帯広駅で根室本線から分岐し、十勝平野を北上して河東郡上士幌町の十勝三股駅に至る。国鉄再建法の制定に伴い、特定地方交通線(第2次)に指定され、国鉄民営化直前の1987年に廃止された。

目次
1 路線データ(廃止時)
2 歴史
3 接続路線
4 駅一覧
5 参考項目




路線データ(廃止時)
管轄:日本国有鉄道
路線距離(営業キロ):帯広~十勝三股 78.3km(糠平~十勝三股 バス代行)
軌間:1067mm
駅・仮乗降場数:20(起終点駅含む。駅15、仮乗降場3、バス停2)
複線区間:全線単線
電化方式:全線非電化
閉塞方式:タブレット閉塞式
交換可能駅:5(木野、音更、士幌、上士幌、糠平)

歴史
帯広~上士幌間は、軽便鉄道法により建設された区間で、1925年から翌年にかけて開通した。上士幌以北は、改正鉄道敷設法別表第141号に規定する「十勝国上士幌ヨリ石狩国「ルベシベ」ニ至ル鉄道」として建設され、1939年に十勝三股までが開通した。なお、石狩国ルベシベ(留辺志部)とは、現在の石北本線上川駅のことである。

1978年には、沿線がほぼ無人地帯となった末端部(糠平~十勝三股間)で上士幌タクシーによるバス代行輸送を実施していたが、1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年に廃止された。

廃止後は十勝バス・北海道拓殖バス(帯広~糠平間)、上士幌タクシー(糠平~十勝三股間)による代替バスに転換された。(その後、糠平~十勝三股間については、上士幌タクシーの代替バスが廃止されたため、現在は帯広~旭川間の都市間バス「ノースライナーみくに号」(道北バス・北海道拓殖バス・十勝バス)が乗降扱いを行っている。)

1925年12月10日 【開業】士幌線帯広~士幌(30.1km) 【駅新設】木野、音更、駒場、中士幌、士幌
1926年7月10日 【延伸開業】士幌~上士幌(8.3km) 【駅新設】上士幌
1935年11月26日 【延伸開業】上士幌~清水谷(10.4km) 【駅新設】萩ヶ岡、清水谷
1937年9月26日 【延伸開業】清水谷~糠平間(10.3km) 【駅新設】糠平
1939年11月18日 【延伸開業・全通】糠平~十勝三股(16.9km) 【駅新設】幌加、十勝三股
1955年8月1日 【ルート変更】清水谷~糠平~幌加(+2.3km)(糠平ダム建設のため) 【駅移設】糠平
1956年?月?日 【仮乗降場新設】糠平ダム(行楽時期のみ営業)
1956年12月25日 【駅新設】武儀、黒石平
1957年12月25日 【駅新設】北平和
1963年11月1日 【仮乗降場新設】電力所前(上り列車のみ営業。同時に黒石平駅は下り列車のみの営業となる)
1966年10月1日 【仮乗降場新設】新士幌
1978年12月25日 【バス代行化】糠平~十勝三股(18.6km) 【バス停新設】スキー場入口、幌加温泉入口 【貨物営業廃止】上士幌~十勝三股
1982年11月15日 【貨物営業廃止】帯広~上士幌
1984年6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1987年3月23日 【路線廃止】全線。バス転換

接続路線
帯広駅:
根室本線
広尾線 - 1987年2月2日廃止
上士幌駅:北海道拓殖鉄道線 - 1949年9月1日東幕瓜~上士幌間廃止

駅一覧
帯広駅 - 木野駅 - 音更駅 - 駒場駅 - 武儀駅 - 中士幌駅 - 新士幌仮乗降場 - 士幌駅 - 北平和駅 - 上士幌駅 - 萩ヶ岡駅 - 清水谷駅 - 黒石平駅 - 電力所前仮乗降場 - (糠平ダム仮乗降場) - 糠平駅 - スキー場入口バス停 - 幌加駅 - 幌加温泉入口バス停 - 十勝三股駅


参考項目
ノースライナー (北海道)
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:42 | 只看该作者
岩内線 Encyclopedia

   


岩内線(いわないせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道後志支庁管内の岩内郡共和町で函館本線から分岐し、同郡の岩内町までを結んでいたが、1980年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、1985年に廃止された。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 接続路線
4 駅一覧




路線データ
管轄:日本国有鉄道
区間(営業キロ):小沢~岩内 14.9km
駅数:6(起点駅を含む)
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化方式:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式
交換可能駅:なし(全線1閉塞)

歴史
岩内線は、岩内と函館本線を接続する目的で、軽便鉄道法に則って建設され、岩内軽便線(いわないけいべんせん)として1912年に全線が開業した。岩内はニシン漁で栄えた日本海に面した良港で、岩内線沿線にも銅を産出する鉱山があり、海産物や鉱石の輸送で活況を呈していた。しかし、ニシン漁の衰退や鉱山の閉山、バスの発達により、岩内線の輸送量は客貨ともに減少し、1980年に国鉄再建法が成立すると第1次特定地方交通線に指定され、1985年に廃止された。

また、太平洋戦争後、函館本線の急勾配を緩和するバイパスルートとして、岩内から寿都を経由して黒松内に至る鉄道(改正鉄道敷設法別表第130号の2)が計画された。黒松内~寿都間で1968年まで開業していた寿都鉄道の路盤跡を転用することも内定していたが、一部の用地買収が行なわれたのみで1972年に中止された。

1912年11月1日 【開業・全通】岩内軽便線小沢~岩内(14.9km) 【駅新設】前田、岩内
1913年9月21日 【駅新設】国富
1919年12月5日 【駅新設】幌似
1922年9月2日 【線名改称】岩内線
1963年10月1日 【駅新設】西前田
1981年9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
1984年2月1日 【貨物営業廃止】全線(-14.9km)
1985年7月1日 【路線廃止】全線(-14.9km)。ニセコバス、北海道中央バスに転換

接続路線
小沢駅:函館本線

駅一覧
小沢駅 - 国富駅 - 幌似駅 - 前田駅 - 西前田駅 - 岩内駅
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:43 | 只看该作者
岡山臨港鉄道 Encyclopedia

   


岡山臨港鉄道(おかやまりんこうてつどう)は、かつて岡山市の南部、大元駅と岡山港を結んでいた鉄道路線である。1984年末に廃止された。

目次
1 概略
2 路線
2.1 路線データ
2.2 駅一覧
2.3 沿線
3 歴史
3.1 開業以前
3.2 岡山臨港鉄道開業
3.3 廃止以後
4 車両
4.1 ディーゼル客車
4.2 ディーゼル機関車
5 路線跡
6 関連項目
7 外部リンク




概略
岡山臨港鉄道は太平洋戦争中に敷設された支線(側線と呼ばれる)を前身とする。戦時中に宇野線と岡南(こうなん)地区の工場を結ぶ側線として線路の敷設がはじまり、終戦前後に工事が一時中断していたが戦後に工事を再開し、貨物輸送を開始した。1950年に鉄道を保有する会社の工場が閉鎖されたのに伴い、1951年に県などが出資する岡山臨港鉄道株式会社(現在、株式会社岡山臨港)に移管され、岡山臨港鉄道として開業した。

開業当初は年間65万人の旅客を運び、昭和30年代には岡南地区の工業化が進んだことで貨物の輸送でにぎわった。

その後、岡山市南部にある児島湾を横断し対岸の児島半島を結ぶ道路が開通したことで岡山港までの旅客が減少し、1973年に岡南元町間・岡山港の旅客運転が廃止された。旅客運転は大元・岡南元町間に縮小されたが貨物運転は引き続き行われた。

しかし、その後のモータリゼーションの進行とともに貨物や旅客の利用が減少し、旅客利用者は開業当時の1/3以下、貨物も最盛期の1/3近くにまで落ち込んだ。1984年には国鉄の合理化に伴って貨物輸送がさらに縮小したことで鉄道の存続が困難になり、1984年12月30日に廃止された。

開業から廃止までの33年間で貨物564万トン、旅客1,262万人を輸送した。


路線
路線データ
区間・路線距離(営業キロ): 大元 - 岡山港間 8.1km (大元 - 岡南元町間は 6.6km)
軌間 : 1067mm
複線区間 : なし(全線単線)
電化区間 : なし(全線非電化)
閉塞方式 : (不明)




駅一覧
大元駅
現在のJR宇野線(瀬戸大橋線)・大元駅に併設。
臨港新保駅 → 1960年に岡南新保駅(こうなんしんぼう)に改称。
泉田倉庫
貨物駅のみ。
臨港泉田駅 → 1960年に岡南泉田駅(こうなんいずみだ) に改称。
福田倉庫
貨物駅のみ。
臨港福田駅 → 1960年に岡南福田駅に改称。
臨港藤田駅 → 岡南藤田駅 → 並木町駅に改称
岡南元町駅
汽車会社前駅 → 1960年に南岡山駅に改称。
岡山港駅

沿線
大元駅から 3km ほどまっすぐ南に下り、芳泉高校を過ぎたあたりで半径400mのカーブを左へと曲がっていく。その先からまっすぐ南東へと向かう路線である。

岡山の南部は干拓によって生まれた土地で、泉田を過ぎたあたりから沿線南部は明治時代~昭和時代の干拓地となっている。カーブがあるあたりから先の路線は、当時の築堤近くに敷設されていたようだ。





歴史
開業以前
太平洋戦争中に倉敷絹織(現・クラレ)が岡南地区で工場の操業をはじめ、物資や従業員の輸送が必要になったことから国鉄路線から工場に通じる側線の敷設をはじめた。これが臨港線の前身となった。

1944年 戦時中、岡南地区にある工場を結ぶ側線の工事がはじまるが途中で中断。
戦後に工事を再開した。
1947年2月 大元-沖福島間が完成し、国鉄車両による貨物輸送がはじまった。

岡山臨港鉄道開業
鉄道を管理していた汽車会社が工場を閉鎖したのに伴い、岡山県などが出資して岡山臨港鉄道株式会社を設立し、鉄道を引き継いだ。

1951年4月2日 岡山臨港鉄道株式会社を設立。
1951年8月1日 臨港線が開業。大元-岡山港間の旅客運転を開始。
開業当初は、年間65万人の乗客を運んだ。
昭和30年代に岡南地区の工業化が進み、貨物輸送が増加。
1961年 児島湾の対岸を結ぶ締め切り堤防道路が開通。
岡山港を利用する客が減少したことで、臨港線の岡山港駅までの旅客輸送も減少した。
昭和30年代後半~昭和40年代半ば 貨物輸送が最盛期に。
1973年 岡南元町-岡山港間の旅客運転を廃止。
1972年12月31日に最後の旅客運転を行い、この区間は貨物輸送のみとなった。旅客運転は大元-岡南元町 6.6km に縮小された。
オイルショックとモータリゼーションの波がおしよせる。
1983年 旅客輸送が開業時の1/3以下、19万人程度にまで落ち込んだ。
1984年2月1日 国鉄のダイヤ改正で一般貨物列車を廃止。
国鉄の合理化で一般貨物列車が廃止され、この影響で臨港線の貨物輸送量も激減した。
1984年12月30日 臨港線を廃止。

廃止以後
大元駅から新保付近までが遊歩道化された。
1990年代にJR大元駅一帯の立体化工事が行われれた。
2001年 社名を岡山臨港に変更。
芳泉高校付近から南部に通じる線路跡地の道路工事が終わり、朝夕は混雑している。
2004年 岡山県・岡山市が所有する株式をクラレ・同和鉱業・大建工業に譲渡、純民間企業となる。

車両
ディーゼル客車
臨港線に使用された車両は合計8両ある。開業当初は、3001号、3002号の2両の車両が使用された。その後、他のローカル私鉄で走っていた車両が相次いで臨港線に移籍され、乗客を運ぶ足として後を継いだ。

301、302
開業時から使用した車両である。301は1937年製造、1978年に廃車。302は1933年製造、1970年に廃車。ともに中国鉄道(現在の津山線、吉備線)で使用されたガソリンカーで、その後、国鉄時代を経て、国鉄・幡生工場(下関市)でディーゼルカーに改装され、臨港線に移籍された。初期の色はアズキ色とベージュ色のツートンカラーで、その後、オレンジ色とベージュ色に塗り替えられた。
1003
1952年に宇都宮車両で製造された。常磐炭鉱で使用され、1959年に臨港線に移籍。臨港線廃止直前の1984年10月に紀州鉄道(和歌山県)へ移籍された。1003は炭鉱用に作られた全長が12mしかない特注品の車両で、急カーブの路線でも運行できるため、紀州鉄道でキハ605としてもうしばらく永らえることになった。2000年に有田鉄道へ譲渡。
5001、5002
1937年に日本車両で製造された。はじめ江若鉄道(滋賀県)のキニ12、キニ13として使用され、1960年に大鉄工業で改造された後、臨港線に移籍した。5002は1980年に廃車された。5001は臨港線廃止まで使用され、現在は岡山市内にある岡山旭川荘厚生専門学院に保存されている。
7001、7002、7003
1955年~1958年に新潟鐵工所で製造された。ともに北海道の夕張鉄道で使用され、水島臨海鉄道を経て臨港線に移籍された。7001、7002は1955年に製造され、夕張鉄道のキハ252、キハ253として使用され、水島臨海鉄道時代にはキハ303、キハ304として使用された。その後、臨港線に移籍。臨港線廃止後は、岡山県美作市 (1994年・1995年にF1パシフィックGPが開かれたTIサーキット(現岡山国際サーキット)があるところで有名)の特産品販売所に保存されている。7003は、1958年に製造され、夕張鉄道時代、水島臨海鉄道時代を経て、1978年に臨港線に移籍された。廃止後は岡山市内千鳥町にある保育園に保存され、図書館として利用されている。

ディーゼル機関車
貨物列車牽引用に2両の DD13、入れ替え用に3両の小型ディーゼル機関車が使用された。1970年代末頃には、朝の7時頃と夕方4時頃に長い編成の貨物列車を走らせていた。この頃でも30両ほどの貨車を牽引していた。廃止が近づきつつある時代になると、その編成も次第に短くなっていった。

DD13
自社発注のDD1351と江若鉄道で使用された DD1352の2両。青色の塗装だった。
DB101、DB102、DB103
入れ替え用の2軸の小型のディーゼル機関車。ユーモラスな形をしている。102 は岡山臨港株式会社の本社敷地内に保存されている。




路線跡大元駅
南北に走るJR宇野線が町を分断し、交通の妨げになっていたため、1990年代に宇野線の立体化工事が行われた。JR大元駅も高架駅に姿を変え、臨港線が走っていた当時の面影は残っていない。
大元から新保付近
緑地のある歩行者・自転車専用の遊歩道「臨港グリーンアベニュー」となっている。途中、東西に結ぶ大きな市街地道路が2003年に完成し、旧鉄道跡地には歩行者用のゆったりした歩道橋がかかるなど、今風な風景に変わりつつある。
旧新保駅
遊歩道となっており、復元されたホームが残っている。
新保付近から南の路線跡
道路となっている。市の中心部から南部を結ぶ大きな道路がほとんどないため、日中は車でにぎわっている。
国道30号線付近
国道30号線が立体交差している。近くにある泉田倉庫で貨物列車の入れ替えをするときに長い間踏切が閉じたままになるため立体化されたのだが、立体工事が終わった頃に臨港線は廃止された。鉄道があったことをしのばせる風景である。
カーブ付近
1970年代頃までは、泉田を過ぎたあたりから南部の岡南地区までしばらくの間は広い田んぼに民家がちらほら建ち並ぶ風景が続いていた。その後、急速に宅地化が進み、現在は多くの住宅地や商業・公共施設が建ち並ぶようになった。現在は、道路のゆるやかなカーブがもとは鉄道路線だった面影を残している。
福田倉庫
岡山臨港株式会社本社
ディーゼル機関車 102 が保存されている。
岡山港駅付近
8km のキロポストが残っているそうだ。

関連項目
岡山臨港
岡山市岡南地区

外部リンク
株式会社
岡山臨港
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:45 | 只看该作者
名寄本線 Encyclopedia

   


名寄本線(なよろほんせん)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)/日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道上川支庁管内の名寄市の名寄駅で宗谷本線から分岐し、網走支庁管内の紋別市を経て紋別郡遠軽町の遠軽駅で石北本線に接続する本線と同郡上湧別町の中湧別駅で分岐し湧別町の湧別駅に至る支線からなっていた。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、1989年に廃止された。特定地方交通線中で唯一「本線」を名乗る路線である。

目次
1 路線データ(廃止時)
2 運転
3 歴史
3.1 名寄線
3.2 湧別線
3.3 両線統合後
4 駅一覧
5 接続路線




路線データ(廃止時)
管轄:北海道旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):全長143.0km
名寄~上湧別~遠軽 138.1km
中湧別~湧別 4.9km
駅数:40(起終点駅を含む)
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式(本線)、スタフ閉塞式(支線)
交換可能駅:8(下川、上興部、中興部、興部、沙留、紋別、小向、中湧別)
上名寄、一ノ橋、渚滑、元紋別、開盛は交換設備があったが撤去

運転廃止直前は、全て普通列車。ただし、宗谷本線・旭川駅直通の列車などは、一部区間を快速運転していた(旭川直通列車は、宗谷本線内は快速。なよろを参照。札幌駅直通の急行「紋別」の名残)。全線通しの列車もあったが、基本的に遠軽に向かうほど本数が増えていった。交換設備が削減されたため、便数の割に国鉄時代より時間調整が増えていた。

名寄~下川間 上下8往復(下りのみ区間列車1本、休日運休)
下川~紋別間 下り7本、上り8本(上りのみ興部で接続便あり)
紋別~中湧別間 下り9本、上り10本(上りのみ紋別で接続便あり)
中湧別~遠軽間 下り10本、上り11本
湧別~中湧別間 上下2往復(全て遠軽直通、一部は紋別方面の列車と併結)

歴史
名寄本線は、北海道鉄道敷設法に規定する「天塩国奈与呂ヨリ北見国網走ニ至ル鉄道」の一部であり、道央とオホーツク海沿岸方面を結ぶ幹線鉄道として建設されたものである。

湧別軽便線(ゆうべつけいべんせん)の延長として、1915年に野付牛(現在の北見)方面(下生田原(現在の石北本線安国))から社名淵(後の開盛)へ延長された路線を発端とする。国有鉄道の軽便線は、軽便規格とはいいながら他路線と同じ軌間1067mmで建設されたが、湧別軽便線だけは、軌間762mmであった。翌年(1916年)には、軌間1067mmに改軌されたが、私鉄買収線を別にすれば国有鉄道が軌間762mmで建設した唯一の例である。この年、社名淵~下湧別(後の湧別)間が軌間1067mmで延伸開業し、全通。1922年に軽便鉄道法の廃止により湧別線(ゆうべつせん)に改称された。

一方、名寄~中湧別間は、名寄線(なよろせん)として難所であった石北峠を避けて名寄方は名寄西線(なよろさいせん)、中湧別方は名寄東線(なよろとうせん)として両側から建設が進められ、1919年から1921年にかけて全線が開通した。1923年に支線(渚滑線)の開業にともない名寄本線に改称している。

しかしながら、1932年に石北峠を克服して石北線が全通すると、湧別線は遠軽を境に分割され、遠軽~下湧別間は名寄本線に、遠軽~野付牛間は石北線に編入された。同時に、名寄本線は幹線鉄道としての役目を石北線に譲ることとなった。

1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるとして他の3線(天北線、池北線、標津線)とともに一時、廃止承認が留保された。しかし、結局1985年に問題がなくなったとして追加廃止承認された。国鉄分割民営化後、比較的乗降客の多い名寄駅~下川駅、紋別駅~遠軽駅間を第三セクター化の上で部分存続させる案が浮上したが、結局1989年に全線廃止された。


名寄線
1919年10月20日 【開業】名寄線名寄~下川(16.5km) 【駅新設】上名寄、下川
1920年10月25日 【延伸開業】下川~上興部(22.4km) 【駅新設】一ノ橋、上興部
1921年3月25日 【開業】名寄東線中湧別~興部(54.1km) 【駅新設】沼ノ上、小向、元紋別、紋別、渚滑、沙留、興部 【線名改称】名寄線→名寄西線
1921年10月5日 【延伸開業・全通】上興部~興部(28.9km) 【駅新設】瀬戸牛、中興部、宇津 【区間統合】名寄東線を名寄西線に編入→名寄線
1923年11月5日 【線名改称】名寄線→名寄本線 【支線開業】渚滑線

湧別線
1915年11月1日 【延伸開業】湧別軽便線(軌間762mm)(下生田原~)遠軽~社名淵(4.5km) 【駅新設】遠軽、社名淵
1916年11月7日 【改軌】遠軽~社名淵 762mm→1067mm
1916年11月21日 【延伸開業・全通】社名淵~中湧別~下湧別(16.6km) 【駅新設】上湧別、中湧別、下湧別
1922年9月2日 【線名改称】湧別軽便線→湧別線(軽便鉄道法廃止により)

両線統合後
1932年10月1日 【区間統合】湧別線遠軽~下湧別間を名寄本線に編入。名寄本線(名寄~遠軽・中湧別~下湧別)
1934年2月5日 【駅名改称】社名淵→開盛
1935年9月15日 【支線開業】興浜南線
1935年10月20日 【支線開業】湧網西線
1944年11月1日 【支線休止】興浜南線
1945年12月5日 【支線復活】興浜南線
1947年2月11日 【仮乗降場新設】豊野
1947年9月10日 【仮乗降場新設】旭
1947年9月21日 【仮乗降場新設】中名寄
1947年12月25日 【仮乗降場新設】二ノ橋
1950年1月15日 【仮乗降場→駅】中名寄、二ノ橋、豊野
1954年11月10日 【駅名改称】下湧別→湧別
1955年12月1日 【仮乗降場新設】一区中通
1955年12月25日 【仮乗降場新設】一本松、厚生病院前、四号線
1956年3月20日 【駅名改称】瀬戸牛→西興部
1956年4月30日 【仮乗降場新設】幸成
1956年5月1日 【仮乗降場新設】弘道
1956年9月1日 【仮乗降場新設】秋里(*1)、富丘
1956年9月20日 【仮乗降場→駅】旭
1956年10月30日 【仮乗降場新設】矢文、岐阜橋
1957年8月1日 【仮乗降場新設】川西
1957年11月1日 【仮乗降場新設】北興
1957年12月3日 【仮乗降場新設】班渓
1959年4月20日 【仮乗降場新設】六興
1959年11月1日 【駅新設】潮見町 【仮乗降場→駅】矢文、岐阜橋、北興、川西、共進(←一区中通)、北遠軽(←学田(*2))
1966年10月1日 【仮乗降場廃止】厚生病院前 【仮乗降場新設】北湧(厚生病院仮乗降場の代替)
1978年12月1日 【貨物営業廃止】中湧別~湧別
1985年4月1日 【支線廃止】渚滑線
1985年7月15日 【支線廃止】興浜南線
1985年8月2日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1986年11月1日 札幌直通の急行「紋別」廃止。優等列車消滅。この他、旭川直通で石北本線回りの急行「大雪」(線内は普通列車)も廃止
1987年3月20日 【支線廃止】湧網線
1987年4月1日 【承継】日本国有鉄道→北海道旅客鉄道 【貨物営業廃止】名寄~遠軽 【仮乗降場→駅】幸成、六興、旭ヶ丘、富丘、一本松、弘道、北湧、四号線 【仮乗降場→臨時駅】班渓
1987年12月1日 【臨時駅→駅】班渓
1989年5月1日 【路線廃止】全線。バス転換(*3)
(*1) 後に移転し旭丘仮乗降場(改称時期不明)となった後、旭ヶ丘仮乗降場と改称(1980年頃?)
(*2) 学田仮乗降場の設置時期は不明
(*3) 転換先のバス会社は名士バス(名寄~紋別)、北紋バス(興部~遠軽)、北海道北見バス(紋別~遠軽。名寄本線廃止当時は北見バス)。

駅一覧名寄駅 - 中名寄駅 - 上名寄駅 - 矢文駅 - 岐阜橋駅 - 下川駅 - 二ノ橋駅 - 幸成駅 - 一ノ橋駅 - 上興部駅 - 西興部駅 - 六興駅 - 中興部駅 - 班渓駅 - 宇津駅 - 北興駅 - 興部駅 - 旭ヶ丘駅 - 豊野駅 - 沙留駅 - 富丘駅 - 渚滑駅 - 潮見町駅 - 紋別駅 - 元紋別駅 - 一本松駅 - 小向駅 - 弘道駅 - 沼ノ上駅 - 旭駅 - 川西駅 - 中湧別駅 - 北湧駅 - 上湧別駅 - 共進駅 - 開盛駅 - 北遠軽駅 - 遠軽駅

支線:中湧別駅 - 四号線駅 - 湧別駅


接続路線
名寄駅:宗谷本線、深名線
興部駅:興浜南線 - 1985年7月15日廃止
渚滑駅:渚滑線 - 1985年4月1日廃止
中湧別駅:湧網線 - 1987年3月20日廃止
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:46 | 只看该作者
名古屋市電 Encyclopedia

   


名古屋市電(なごやしでん)は、名古屋市交通局が運営していた路面電車である。


概要
京都電気鉄道(のち京都市に買収)に次いで日本で2番目の電気鉄道、名古屋電気鉄道をその嚆矢とする。同社は市内路線の他に「郡部線」と呼ばれる郊外鉄道線も建設。しかし1911年、高額の運賃に市民の不満が爆発し電車焼き討ち事件に発展。これを機に名古屋市でも市内電車の買収に動き、1922年名古屋市電が誕生した。なお、買収に先じて名古屋電気鉄道は郡部線を新設会社・名古屋鉄道(初代。現在の名古屋鉄道の前身)へ譲渡。市交通局と名鉄はルーツを同じくする。

市営後も路線を拡充。連接車2600形、無音電車2000形や新機軸の800形など個性ある電車が運転された。また、路線でも当時はローカルムード満点の田園地帯を単線で走る下之一色線があり、同線では通票を使用し行き違い可能な停留所で交換して運行。虫害対策のため殺虫剤を散布する専用車が存在し、地下鉄東山線開業前には第三軌条を臨時に敷設して同線車両の試運転も行われた。

1960年代半ばから電力料金や設備維持費が増加し、経営を逼迫。また自動車の増加に伴い定時運行が困難となったため、地下鉄網を整備する代わりに市電を撤去する事となった。1974年、惜しまれながら市電は全廃。現在は日進工場の一角に「レトロでんしゃ館」があり、引退した電車3両が保存展示されている。(最寄駅・鶴舞線赤池駅)


沿革
1898年5月6日 名古屋電気鉄道が笹島-県庁前間を開業。
1922年8月1日 名古屋市が名古屋電気鉄道の軌道事業を買収。
(買収線区) 名古屋駅-千種間、志摩町-押切町間、赤塚-門前町間、熱田駅-築港間、浄心-船方間、西裏-覚王山間、明道橋-平田町間、東新町-大曽根間、名古屋駅-那古野間、栄町-東築地間。計42.5km
1936年5月24日 中村電気軌道を買収。明治橋-中村公園間
1937年3月1日 新三河鉄道(今池-大久手間、千早-八事間)、築地電気軌道(築地口-下之一色間)を買収。下之一色電車軌道(尾頭橋-下之一色間)を買収し下之一色線とする。
1954年2月28日 下之一色線で日本最初のワンマン運転を実施。
1961年5月15日 地下鉄東山線建設のため、覚王山-星ヶ丘間運休。復旧せず事実上の廃止。以降、市電の部分廃止相次ぐ。
1974年3月31日 市電全面廃止。
(最終営業区間)矢田町四丁目-大久手-市立大学病院-大江町-昭和町間、大久手-安田車庫前間、金山橋-沢上町-市立大学病院間

関連項目
豊橋鉄道モ3100形電車…名古屋市電では1400形、全面廃止時まで活躍していた。
豊橋鉄道モ3700形電車…名古屋市電では1200形
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:48 | 只看该作者
名鉄一宮線 Encyclopedia

   


一宮線(いちのみやせん)とは、愛知県岩倉市の岩倉駅から同県一宮市の東一宮駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線である。開業時は全線複線だったが、戦時中に単線化された


目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
※路線廃止時点のもの

路線距離(営業キロ):全長7.1km
軌間:1067mm
駅数:7駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)

歴史
1912年8月6日 名古屋電気鉄道が枇杷島橋~岩倉~西印田間を開業。
1913年1月25日 西印田~東一宮間が開業。西印田駅廃止。
1921年7月1日 名古屋電気鉄道が名古屋鉄道へ路線を譲渡。
1930年1月25日 花岡町駅開業。
1941年8月12日 一宮線の押切町~枇杷島橋間が廃止。枇杷島橋~新鵜沼間が犬山線、岩倉~東一宮間が一宮線となる。
1948年5月12日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
1965年4月25日 岩倉~東一宮間が廃止。

駅一覧
岩倉駅 - 元小山駅 - 羽根駅 - 浅野駅 - 印田駅 - 西印田駅* - 花岡町駅 - 東一宮駅

*印の駅は路線廃止前に廃止。

接続路線
岩倉駅:犬山線(現存)、岩倉支線(1964年4月25日廃止)

関連項目
廃線
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:50 | 只看该作者
東武日光軌道線 Encyclopedia

   


日光軌道線(にっこうきどうせん)は、栃木県日光市の日光駅前から馬返までを結んでいた、東武鉄道運営の路面電車である。1968年に廃止された。

目次
1 概要
2 路線データ
3 沿革
4 車両
5 特徴のあった区間
6 車庫
7 駅一覧
8 接続路線
9 関連項目




概要
全線栃木県日光市内を運行。当時の日光町が古河合名(現在の古河電気工業)と合弁で1908年に日光電気軌道を設立して1910年に開業。日光東照宮、二荒山神社等の観光地への旅客輸送や古河青銅所からの貨物輸送を目的に建設された。 終点馬返からは傍系の日光登山鉄道によるケーブルカー(後の東武日光鋼索鉄道線)が明智平まで延び、華厳の滝、中禅寺湖への観光輸送も行った。

昭和初期、日光へ進出した東武鉄道の傘下に入り、戦時統制下で日光地区の交通機関を統合。1947年(昭和22年)親会社の東武鉄道に合併するが、やがて自動車時代の到来を迎え道路が整備され交通量が増加。第一・第二両いろは坂の開通や古河関連の貨物輸送がトラックに切り替えられたこともあり、電車の存在意義が薄れる結果となった。1968年2月、全線廃止。


路線データ
区間(営業キロ):日光駅前-馬返 10.6km
軌間:1067mm
駅数:19駅(起終点駅含む)
電化区間:全線(直流600V)

沿革
1910年8月10日 日光電気軌道により日光停車場前-岩ノ鼻間開通。
1913年10月15日 岩ノ鼻-車返間開通。
1932年11月30日 日光自動車と合併。日光自動車電車に商号変更。
1933年5月12日 日光駅前を線形変更。
1944年8月1日 日光軌道に商号変更。
1947年5月31日 東武鉄道に合併。
1968年2月25日 全線廃止。

車両
100形 日光軌道線廃止後、岡山電気軌道に譲渡され3000形となる。
200形 連接車

特徴のあった区間神橋 当初は自動車併用橋であったが、貨物列車を運行するため専用橋を架設。以降、撮影のポイントとなった。
清滝 古河電工の構内にあった。このため、駅跡は古河関係者以外立入厳禁となっている。

車庫
清滝(最寄停留所:電車車庫前)

駅一覧
日光駅前駅 - 東武駅前駅(一方向のみ)- 石屋町駅 - 警察署前駅 - 市役所前駅 - 神橋駅 - 下河原駅 - 公会堂前駅 - 西参道前駅 - 田母沢駅 - 花石町駅 - 荒沢駅 - 電車車庫前駅 - 古河アルミ前駅 - 丹勢下駅 - 清滝駅 - 岩ノ鼻駅 - 横手駅 - 馬返駅


接続路線
事業者名は日光軌道線廃止直前のもの。

日光駅前駅:国鉄日光線(日光駅)
東武駅前駅:東武日光線(東武日光駅)
馬返駅:東武日光鋼索鉄道線

関連項目
廃線
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:53 | 只看该作者
名鉄安城支線 Encyclopedia

   


安城支線(あんじょうしせん)とは、愛知県安城市の南安城駅から同県同市の安城駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線である。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
※路線廃止時点のもの

路線距離(営業キロ):全長1.1km
軌間:1067mm
駅数:2駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)

歴史
1939年12月25日 碧海電気鉄道が南安城~新安城(今の新安城駅とは異なる)間を貨物支線として開業。
1944年3月1日 名古屋鉄道が碧海電気鉄道を合併。安城支線とする。
1950年10月28日 愛知国体の観客輸送のため同年11月1日まで旅客営業。
1951年3月21日 旅客営業開始。新安城駅を国鉄駅に合わせ安城駅と改称。
1960年3月27日 架線電圧を1500Vに昇圧。
1961年7月30日 南安城~安城間廃止。




駅一覧
南安城駅 - 安城駅


接続路線
南安城駅:西尾線(現存)
安城駅:東海道本線(現存)

関連項目
廃線


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名鉄安城支線 Categories
岩城潤子   海城中学校・高等学校   破城槌  
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豊見城東道路   赤穂城断絶  
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:54 | 只看该作者
名鉄小坂井支線 Encyclopedia

   


小坂井支線(こざかいしせん)とは、愛知県宝飯郡小坂井町の伊奈駅から同県同郡同町の小坂井駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線である。開業時は全線複線だった。豊川稲荷への正月輸送で飯田線に乗り入れる臨時急行などが走っていたが、名鉄豊川線の全通により廃止された。
目次1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
※路線廃止時点のもの

路線距離(営業キロ):全長1.2km
軌間:1067mm
駅数:2駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)

歴史
1926年4月1日 愛知電気鉄道が東岡崎~小坂井間を開業。豊川鉄道(飯田線の前身)豊川駅まで直通運転開始。
1927年6月1日 伊奈信号所~吉田(現・豊橋)間が開業。伊奈信号所~小坂井間は小坂井支線となる。
1927年9月1日 伊奈信号所が駅に昇格。伊奈駅に。
1944年6月30日 伊奈~小坂井間単線化。
1954年12月25日 伊奈~小坂井間廃止。

駅一覧
伊奈駅 - 小坂井駅


接続路線
伊奈駅:名古屋本線(現存)
小坂井駅:飯田線(現存)

関連項目
廃線
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:54 | 只看该作者
名鉄岩倉支線 Encyclopedia

   


岩倉支線(いわくらしせん)とは、愛知県岩倉市の岩倉駅から同県小牧市の小牧駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線である。岩倉駅と小牧駅の間を短絡する路線で、両駅間を犬山線、小牧線経由で行くよりも短い距離で行くことができた。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
※路線廃止時点のもの

路線距離(営業キロ):全長5.5km
軌間:1067mm
駅数:5駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)

歴史
1920年9月23日 名古屋電気鉄道が小牧線として岩倉~(旧)小牧間を開業。
1921年7月1日 名古屋電気鉄道が名古屋鉄道へ路線を譲渡。
1945年5月1日 大曽根線の新小牧駅に乗り入れる。(旧)小牧駅廃止。
1946年11月5日 西小牧駅開業。
1948年5月16日 路線名改称で岩倉支線に。(大曽根線は小牧線に。)
1955年1月23日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
1964年4月25日 岩倉~小牧間が廃止。

駅一覧
岩倉駅 - 中市場駅* - 小木駅 - 小針駅 - 西小牧駅 - 小牧駅

*印の駅は路線廃止前に休止。

接続路線
岩倉駅:犬山線(現存)、一宮線(1965年4月25日廃止)
小牧駅:小牧線(現存)

関連項目
廃線
104
 楼主| 发表于 2007-1-11 08:55 | 只看该作者
名鉄清洲線 Encyclopedia

   


清洲線(きよすせん)とは、愛知県西春日井郡清洲町(現・清須市)内の丸ノ内駅から清洲町駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線である。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
※路線廃止時点のもの

路線距離(営業キロ):全長1.0km
軌間:1067mm
駅数:3駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)

歴史
1914年9月22日 名古屋電気鉄道が須ヶ口~清洲間を開業。
1921年7月1日 名古屋電気鉄道が名古屋鉄道へ路線を譲渡。
1934年2月24日 清洲駅を清洲町駅に改称。(国鉄清洲駅の開業による)
1942年 農業試験場前駅を試験場前駅に改称。
1944年6月10日 丸ノ内~清洲町間休止。
1948年8月3日 丸ノ内~清洲町間廃止。

駅一覧
丸ノ内駅 - 試験場前駅 - 清洲町駅


接続路線
丸ノ内駅:名古屋本線(現存)

関連項目
廃線
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:56 | 只看该作者
名鉄挙母線 Encyclopedia

   


挙母線(ころもせん)とは、愛知県岡崎市の岡崎井田駅から同市の大樹寺駅を経て、同県豊田市にある名鉄三河線の上挙母駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線。

正式な起点は岡崎井田駅であるが、岡崎井田~大樹寺間は軌道線の岡崎市内線の車両で運行され、実態として同線の一部のようになっていた。同区間は岡崎市内線とともに1962年(昭和37年)に廃止された。

残る大樹寺~上挙母間も岡崎市内線廃止で岡崎市中心部への鉄道ルートがなくなって乗客が減少したことや国鉄岡多線(現愛知環状鉄道線)の建設用地として区間の一部を譲渡することが決定したことから1973年(昭和48年)に廃止された。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
3.1 挙母線
3.2 門立支線
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
路線距離(営業キロ):挙母線全長11.5km、門立支線1.5km
岡崎井田~大樹寺間 0.5km
大樹寺~上挙母間 11.0km
三河岩脇~門立間 1.5km
軌間:1067mm
駅数:13駅(起終点駅、岡崎井田駅および門立支線2駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:
岡崎井田~大樹寺間(直流600V)
大樹寺~上挙母間(直流1500V、但し大樹寺駅構内は直流600V)
三河岩脇~門立間(直流1500V)

歴史
1921年4月20日 岡崎電気軌道が大樹寺駅~門立駅の免許取得。
1924年12月27日 岡崎電気軌道により岡崎井田駅~大樹寺駅~門立駅間開業。
1926年9月29日 三河鉄道が三河岩脇駅~上挙母駅の免許取得。
1927年4月16日 岡崎電気軌道が三河鉄道に吸収合併される。
1929年12月18日 三河鉄道により三河岩脇駅~上挙母駅間開業。当初より1500V電化。大樹寺~門立間の架線電圧も600Vから1500Vに昇圧。大樹寺~上挙母間を岡崎線、三河岩脇~門立間を門立支線とする。
1938年5月1日 門立支線旅客取り扱い休止。
1939年10月3日 門立支線廃止。
1941年6月1日 三河鉄道が名古屋鉄道に吸収合併される。
1941年~1946年 鴛鴨駅廃止(正確な時期不明)
1948年5月16日 岡崎線から挙母線に改称。
1949年12月1日 上市場駅を細川駅に改称。
1959年10月1日 三河豊田駅をトヨタ自動車前駅に改称。
1962年6月17日 岡崎市内線とともに岡崎井田駅~大樹寺駅間廃止。
1969年4月5日 百々駅・八ツ木駅廃止。
1973年3月4日 全線廃止し、バスに転換。
2002年9月30日 代替バス廃止。

駅一覧
挙母線
愛知県岡崎市:
岡崎井田駅 - 大樹寺駅 - 百々駅 - 岩津駅 - 八ツ木駅 - 三河岩脇駅 - ※細川駅
愛知県豊田市:
- 渡刈駅 - 鴛鴨駅 - トヨタ自動車前駅 - 上挙母駅
※門立支線があった頃は上市場駅と称していた。


門立支線
愛知県岡崎市:
三河岩脇駅 - 細川駅 - 門立駅

接続路線
岡崎井田駅:名鉄岡崎市内線(直通)
大樹寺駅:名鉄岡崎市内線
上挙母駅:名鉄三河線

関連項目
廃線
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