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日本铁道简介(日语资料)(来自日本百科事典)

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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:57 | 只看该作者
名鉄竹鼻線 Encyclopedia

   


竹鼻線(たけはなせん)は、岐阜県羽島郡笠松町の笠松駅から岐阜県羽島市の江吉良駅までを結ぶ名古屋鉄道の鉄道路線である。

2005年2月現在、羽島市役所前駅~江吉良駅間で立体交差化工事が行われている。

運賃計算区分はC。(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
4.1 営業中の区間
4.2 廃止区間
5 関連項目




路線データ
路線距離(営業キロ):10.3km
軌間:1067mm
駅数:9駅(起終点駅を含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式

運行形態
羽島線と一体的に運行されている。昼間時間帯では、名鉄岐阜駅~新羽島駅間で30分間隔、笠松駅~新羽島駅間で30分間隔で交互に走り、前者は、名鉄岐阜駅~笠松駅間の名古屋本線を急行(途中無停車)として運行され、竹鼻線・羽島線内は普通列車となる。2001年頃までは、新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)~新羽島駅間に竹鼻線内にも通過駅がある急行が設定(途中の停車駅は、笠松駅・竹鼻駅・羽島市役所前駅)されていたが、現在はすべて竹鼻線各駅に停車する。

単線であるため、途中、西笠松駅と南宿駅、羽島市役所前駅で列車の行き違いを行っている。

歴史
1921年6月25日 竹鼻鉄道が新笠松(現在の西笠松)~栄町(現在の竹鼻)間を開業。
1921年9月1日 美濃電気軌道の笠松線(現在の名古屋本線の一部)が笠松(現在の西笠松)駅まで延伸され竹鼻鉄道と接続。
1929年4月1日 竹鼻鉄道 栄町~大須間を開業。
1943年3月1日 名古屋鉄道が竹鼻鉄道を吸収合併。竹鼻線となる。
1962年6月10日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
2001年10月1日 江吉良~大須間が廃止。

駅一覧
営業中の区間
普通列車のみ運行。全列車、各駅に停車。

駅名 営業キロ 接続路線 所在地
笠松駅 0.0 名古屋鉄道:名古屋本線 岐阜県 羽島郡笠松町
西笠松駅 0.9  
柳津駅 3.1   羽島郡柳津町
南宿駅 5.2   羽島市
須賀駅 6.1  
不破一色駅 7.0  
竹鼻駅 8.6  
羽島市役所前駅 9.6  
江吉良駅 10.3 名古屋鉄道:羽島線





廃止区間
江吉良駅 - 牧野駅 - 長間駅 - 中区駅 - 市之枝駅 - 八神駅 - 桑原駅 - 大須駅

※廃止時点のもの


関連項目
日本の鉄道路線一覧
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 楼主| 发表于 2007-1-11 08:58 | 只看该作者
名鉄瀬戸線 Encyclopedia

   


名鉄瀬戸線(せとせん)は、愛知県名古屋市東区の栄町駅から愛知県瀬戸市の尾張瀬戸駅までを結ぶ名古屋鉄道の鉄道路線である。

栄町駅から東大手駅~清水駅間が地下、東大手駅~清水駅間から大曽根駅~矢田駅間までが高架によって立体交差化されている。瀬戸電気鉄道を前身とすることから、今でも「瀬戸電」の愛称で親しまれている。

他の名鉄の路線と接続していない「孤立路線」であるため、車両の転属を行う場合は、道路上をトレーラで輸送することになる。

運賃計算区分はB。(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍) なお、栄町駅と名鉄名古屋駅、金山駅は通過連絡の措置がとられているため、東大手以遠から本線方面とは通し切符が購入できる。

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 車両
4 歴史
5 加算額
6 駅一覧
6.1 営業中の区間
6.2 廃止区間
7 関連項目




路線データ
路線距離(営業キロ):20.6km
軌間:1067mm
駅数:20駅(起終点駅含む)
複線区間:全線
電化区間:全線電化(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式

運行形態
急行・準急・普通列車が運転されている。昼間時間帯では毎時急行2本、準急2本、普通列車が4本ある。また栄町~喜多山・尾張旭間運転の区間列車もある(また平日朝のみ三郷発もある)。

昼間は普通2本が尾張旭折り返しで、急行列車が尾張旭で連絡する。平日の朝と夜間、休日の19時以降は一部除いて普通列車のみの運用。特に栄町方面平日朝7時~8時は、尾張旭~栄町間は普通列車が4分間隔で走る過密ダイヤになっている。なお平日朝ラッシュ時間帯の瀬戸方面は準急と普通が交互に走り、普通の大半と準急1本が尾張旭折り返しになる。

2003年のダイヤ改正時に昼間は現在のような運行形態となったが、毎時2本運行される尾張旭折り返し普通と連絡するのは急行で、普通のみ停車の駅と水野・瀬戸市役所前との間を行き来する場合は実質毎時2本になってしまった。そのため2005年のダイヤ改正で水野・瀬戸市役所前を急行停車駅にし、尾張旭折り返し普通に連絡できるようにした。

なお途中に追い抜きが可能な駅がないため平行ダイヤとなっており、優等列車による下位列車の待避はされない。よって各方面へは、先発列車が必ず先に着く。


車両
瀬戸線は前述の通り名鉄の路線網から外れた位置に存在する路線であるため、それ専用として登場した車両がいくつか存在する。現在では6000系が本線系路線から転属して活躍している他は、瀬戸線独自のものが使われている。詳しくは名鉄6600系電車を参照。


歴史
瀬戸電気鉄道の前身、瀬戸自動鉄道により1905年に開業した。当初は非電化で、セルポレー式蒸気原動車で運行していたが、故障が続出したため、1907年に電化し電気運転を開始した。また、かつての起点は堀川駅で、堀川~土居下間は名古屋城の堀の中を走り、「お濠電車」と呼ばれていた。狭い本町橋のアーチを潜るため、ガントレットと呼ばれる複線の上下線が重なる線路があることで知られていたが、1978年の栄町駅への地下新線開業に伴って廃止された。またかつては「特急」も存在した。詳しくは瀬戸線特急を参照。

1905年4月2日 瀬戸自動鉄道により矢田~瀬戸(現在の尾張瀬戸)間が開業。
1906年3月1日 大曽根~矢田間が開業。
1906年12月18日 瀬戸自動鉄道が瀬戸電気鉄道に社名変更。
1907年3月17日 大曽根~瀬戸間が電化。電車運転開始。
1911年5月23日 土居下~大曽根間が開業。
1911年10月1日 堀川~土居下間が開業し全通。
1913年8月14日 土居下~大曽根間が複線化。
1921年2月15日 大曽根~小幡間が複線化。
1921年4月13日 全線を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。
1924年12月17日 三郷~根ノ鼻(のちに廃止)間が複線化。
1927年2月1日 横山(現在の新瀬戸)~尾張瀬戸間が複線化。
1927年7月2日 小幡~印場間が複線化。
1927年11月11日 印場~三郷間が複線化。
1928年12月27日 根ノ鼻~横山間が複線化。
1939年9月1日 名古屋鉄道が瀬戸電気鉄道を合併。瀬戸線となる。
1948年1月5日 印場~大森間で脱線転覆事故発生。瀬戸線史上最悪の惨事となる。
1976年2月15日 堀川~東大手(1944年から休止中)間が廃止。東大手~土居下間が休止。
1978年2月15日 貨物営業廃止。
1978年3月19日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
1978年8月20日 栄町~東大手間の地下新線が開業。東大手~土居下間が経路変更、営業再開。東大手駅営業再開、土居下駅廃止。
1983年8月21日 森下~矢田間が高架化。0.1km延長。
1990年9月30日 東大手~森下間が立体交差化。
2001年4月14日 尾張瀬戸駅が移転。0.1km延長。
2005年1月29日 瓢箪山駅の「箪」の表記を旧字体から新字体に変更。

加算額栄町駅~東大手駅間は新線であるため、この区間内、またはこの区間をまたがって乗車する場合には、キロ程で算出された運賃に加えて、別途30円(おとなの普通運賃に対する)の加算額を加算する。


駅一覧
営業中の区間
駅名 営業キロ 普通 準急 急行 接続路線 所在地
栄町駅 0.0 ● ● ● 名古屋市営地下鉄:東山線・名城線(栄駅) 愛知県 名古屋市東区
東大手駅 1.5 ● ● ●   名古屋市中区
清水駅 2.2 ● | |   名古屋市北区
尼ヶ坂駅 2.7 ● | |  
森下駅 3.6 ● | |   名古屋市東区
大曽根駅 4.6 ● ● ● 東海旅客鉄道:中央本線
名古屋市営地下鉄:名城線
名古屋ガイドウェイバス:ゆとりーとライン
矢田駅 5.9 ● | |  
守山自衛隊前駅 7.0 ● | | 名古屋ガイドウェイバス:ゆとりーとライン(守山駅:徒歩5分) 名古屋市守山区
瓢箪山駅 7.6 ● | |  
小幡駅 8.6 ● ● ●  
喜多山駅 9.9 ● ● ●  
大森・金城学院前駅 10.7 ● ● ●  
印場駅 12.2 ● ● |   尾張旭市
旭前駅 13.1 ● ● |  
尾張旭駅 14.7 ● ● ●  
三郷駅 16.1 ● ● ●  
水野駅 18.0 ● ● ●   瀬戸市
新瀬戸駅 18.7 ● ● ● 愛知環状鉄道:愛知環状鉄道線(瀬戸市駅)
瀬戸市役所前駅 19.4 ● ● ●  
尾張瀬戸駅 *20.6 ● ● ●  

●:全ての列車が停車 |:通過

*:運賃計算の際は、瀬戸市役所前駅~尾張瀬戸駅間の営業キロは駅移転前の1.1キロを用いる。


廃止区間
堀川駅 - 本町駅 - 大津町駅 - (東大手駅) - 土居下駅

※廃止時点のもの。東大手駅は1944年から休止されていたが新線上で再開された。土居下駅は東大手~清水間にあった。


関連項目
日本の鉄道路線一覧
108
 楼主| 发表于 2007-1-11 08:59 | 只看该作者
名鉄西尾線 Encyclopedia

   


西尾線(にしおせん)は、愛知県安城市の新安城駅から愛知県幡豆郡吉良町の吉良吉田駅までを結ぶ名古屋鉄道の鉄道路線である。

岡崎平野を南北に貫き、名古屋と西尾市や吉良町を結んでいる。また、沿線に観光地を控える蒲郡線と名古屋本線を結ぶ路線でもある。

なお、現在の西尾線は、西尾鉄道と碧海電気鉄道が開通させた路線から成り立っているが、1944年以前は、西尾鉄道が開通させた愛知県岡崎市の岡崎新駅から西尾駅を経て、三河吉田(現在の吉良吉田)駅までの区間を西尾線と称していた。本稿ではその初代西尾線を含めて記述する。

運賃計算区分はB。(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍)

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
4.1 営業中の区間
4.2 廃止区間
5 関連項目
6 外部リンク




路線データ
路線距離(営業キロ):24.7km
軌間:1067mm
駅数:15駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式
西尾駅を中心とした一部区間は高架となっている。


運行形態
特急・快速急行・急行は名古屋本線直通(快速急行は全ての列車が、特急は朝夕に限り津島線にも乗り入れ)が基本で、新安城駅から特急と快速急行、急行は西尾駅まで運転されている。朝夕の特急は吉良吉田駅まで運転される列車がある。普通列車は新安城~西尾間の列車と蒲郡線直通の西尾~蒲郡間の列車が運転されている。特急に関しては名鉄特急も参照のこと。

西尾線直通の特急にはパノラマスーパー及び1600系特急電車が使用されている。


歴史先述したとおり現在の西尾線は、新安城~西尾間は碧海電気鉄道、西尾~吉良吉田間は西尾鉄道が敷設した路線から成り立っている。

西尾鉄道は岡崎新~西尾~港前間、西尾~吉田港間の路線を開通させた軌間762mmの軽便鉄道であった。東海道本線が通る岡崎と西三河南部の町を結ぶべく、1916年までにこれらの路線を全通させた。1926年に名古屋鉄道の前身である愛知電気鉄道が西尾鉄道を合併し、岡崎新~西尾~吉田港間を西尾線とした後、傍系会社の碧海電気鉄道と直通させるために、1067mm軌間への改軌と電化を行った。碧海電気鉄道も後に名古屋鉄道に合併され、今村(現在の新安城)~西尾~吉良吉田間が碧西線となり、1948年に西尾線と再改称した。

なお碧海電気鉄道合併を前に、初代西尾線の岡崎新~西尾間が休止されたが、このうち岡崎駅前~福岡町間が福岡線として再開したものの、直通運転していた岡崎市内線とともに1962年に廃止された。

1911年10月30日 西三軌道が岡崎新~西尾間を開業。
1912年1月25日 西三軌道が西尾鉄道に社名変更。
1915年2月13日 西尾鉄道が西尾~一色口(現在の福地)間を開業。
1915年3月14日 西尾鉄道 一色口~横須賀口(のちに廃止)間が開業。
1915年8月5日 西尾鉄道 横須賀口~吉良吉田間が開業。横須賀口駅廃止。
1916年2月12日 西尾鉄道 吉良吉田~吉田港間が開業し全通。
1926年7月1日 碧海電気鉄道が今村(現在の新安城)~米津間を開業。
1926年12月1日 愛知電気鉄道が西尾鉄道を合併。岡崎新~西尾~吉田港間を西尾線(初代)とする。
1928年8月5日 碧海電気鉄道 米津~碧電西尾口間が開業。
1928年10月1日 碧海電気鉄道 碧電西尾口~西尾間が開業。
1928年10月1日 愛知電気鉄道西尾線 西尾~吉良吉田間の軌間を762mmから1067mmに改軌、600V電化。西尾駅を移転し碧海電気鉄道と接続。吉良吉田~吉田港間を廃止。
1929年4月1日 愛知電気鉄道西尾線 岡崎新~西尾間の軌間を762mmから1067mmに改軌、600V電化。
1935年8月1日 愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併し名古屋鉄道となる。
1942年12月28日 西尾線 吉良吉田~三河線三河吉田(現在の吉良吉田)間が開業。
1943年2月1日 西尾線の吉良吉田駅を三河吉田駅に統合し廃止。
1943年12月16日 西尾線 岡崎新~西尾間が休止。
1944年3月1日 名古屋鉄道が碧海電気鉄道を合併。今村~西尾~三河吉田間を碧西線とする。
1948年5月16日 碧西線を西尾線(2代)と改称。
1951年12月1日 西尾線(初代)の一部、岡崎駅前~福岡町間2.5kmが福岡線として営業再開。
1959年7月12日 蒲郡線の昇圧に伴い、蒲郡線との直通運転を中止。
1959年11月25日 西尾線(初代)福岡町~西尾間10.3kmが廃止。
1960年3月27日 全線の架線電圧を1500Vに昇圧。蒲郡線との直通運転再開。
1960年11月1日 三河吉田駅を吉良吉田駅に改称。
1962年6月17日 福岡線 岡崎駅前~福岡町間が廃止。
1970年5月1日 今村駅を新安城駅に改称。
1998年6月1日 西尾~吉良吉田間でワンマン運転開始。

駅一覧
営業中の区間
駅名 営業キロ 普通 急行 快速急行 特急 接続路線 所在地
新安城駅 0.0 ● ● ● ● 名古屋鉄道:名古屋本線 愛知県 安城市
北安城駅 2.6 ● ▲ | |  
南安城駅 4.0 ● ● ● ●  
碧海古井駅 5.7 ● ▲ | |  
碧海堀内駅 6.7 ● | | |  
碧海桜井駅 7.9 ● ● ● ◆  
米津駅 11.6 ● ● ● ◆   西尾市
桜町前駅 13.0 ● ● ● |  
西尾口駅 14.2 ● | | |  
西尾駅 15.0 ● ● ● ●  
福地駅 17.4 ● | | |  
鎌谷駅 18.8 ● | | |  
上横須賀駅 20.5 ● ● ● ●   幡豆郡吉良町
三河荻原駅 23.3 ● | | |  
吉良吉田駅 24.7 ● ● ● ● 名古屋鉄道:蒲郡線

●:全ての列車が停車 ◆:一部の列車が通過 ▲:一部の列車が停車 |:通過


廃止区間
駅一覧
岡崎新駅(岡崎駅前駅) - 土呂駅(福岡町駅) - 三河中島駅 - 三江島駅 - 久麻久駅 - 西尾口駅 - 西尾駅
接続路線
岡崎新駅(岡崎駅前駅):東海道本線(岡崎駅)
西尾駅:平坂線・碧海電気鉄道
※いずれも1943年営業休止時点のもの。()内は福岡線として営業再開した時の駅名。


関連項目
日本の鉄道路線一覧

外部リンク
甦る!全・西・あ計画 - 西尾線のページ
109
 楼主| 发表于 2007-1-11 10:46 | 只看该作者
五日市線 Encyclopedia

   


五日市線(いつかいちせん)は、東京都昭島市の拝島駅から東京都あきる野市の武蔵五日市駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

日中は全て線内折返しで、朝夕の一部列車は青梅線・中央線に直通する。

武蔵五日市駅からはスイッチバックして岩井支線(武蔵五日市~武蔵岩井間)が分岐していたが、廃止されている。現在は武蔵五日市駅が改築されたため、駅手前に一部廃線跡がある程度である。

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
4.1 廃止区間
5 接続路線
6 関連記事




路線データ
管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):11.1km
軌間:1067mm
駅数:7駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V 架空電車線方式)
閉塞方式:自動閉塞式
指令所:東京総合指令室

運行形態
日中の五日市線内折り返し列車は、前面に『青梅・五日市線』と書かれた豊田電車区の201系6両編成で運行される。青梅線・中央快速線へ直通する列車は、拝島駅で4両編成を増結する(直通してくる列車は拝島駅にて解放)。4両編成には八高線の高麗川駅まで直通するものもある。


歴史
五日市線は、私鉄の五日市鉄道が建設したものである。1930年に立川~拝島~武蔵五日市~武蔵岩井間が全通し、立川~拝島間では青梅電気鉄道(現在の青梅線)と完全に並行していた。1940年に南武鉄道に合併され、同社の五日市線となったが、1944年に南武鉄道が戦時買収により国有化され、本路線も国有鉄道五日市線となった。その際、青梅線と並行する立川~拝島間は、不要不急線として休止され、戦後復活することはなかった。

但し、立川~武蔵上ノ原~西立川間は現在も南武線及び中央本線下り線(つまり立川駅南側)との連絡線として現在も利用されている。

1925年(大正14年)4月21日 - 【開業】五日市鉄道 拝島(仮停車場)~五日市 【駅新設】拝島(仮停車場)、東秋留、西秋留、増戸、五日市
1925年5月15日 - 【延伸開業】拝島~拝島(仮停車場) 【駅新設】拝島(青梅電気鉄道の既設駅に乗入れ) 【駅廃止】拝島仮停車場
1925年5月16日 - 【駅名改称】増戸→武蔵増戸
1925年6月1日 - 【駅名改称】五日市→武蔵五日市
1925年9月20日 - 【延伸開業】武蔵五日市~武蔵岩井 【駅新設】大久野、武蔵岩井
1926年(大正15年)7月1日 - 【駅新設】(貨)多摩川
1930年(昭和5年)4月4日認可 - 【停留場新設】病院前
1930年7月13日 【延伸開業】立川~拝島 - 【駅新設】立川(国有鉄道既設駅)、武蔵上ノ原、郷地(停留場)、武蔵福島(停留場)、南中神、宮沢(停留場)、大神(停留場)、武蔵田中(停留場)、南拝島
1931年(昭和6年)5月28日 - 【停留場新設】熊川
1931年11月30日認可 - 【停留場→駅】熊川
1931年12月8日 - 【貨物支線開業】武蔵田中~拝島多摩川 【駅名改称】多摩川→武蔵多摩川 【駅開業】(貨)拝島多摩川
1940年(昭和15年)10月3日 - 【合併】南武鉄道五日市線 【駅廃止】武蔵多摩川
1944年(昭和19年)4月1日 - 【買収・国有化】五日市線 立川~武蔵岩井、南拝島~拝島多摩川 【駅名改称】病院前→武蔵引田 【駅廃止】武蔵上ノ原、宮沢、武蔵田中
1944年10月11日 【休止】立川~拝島、南拝島~拝島多摩川 【駅休止】郷地、武蔵福島、南中神、大神、南拝島、(貨)拝島多摩川
1961年(昭和36年)2月17日 - 【電化】拝島~武蔵岩井(直流1500V)
1971年(昭和46年)2月1日 - 【廃止】大久野~武蔵岩井 【駅廃止】武蔵岩井 【旅客営業廃止】武蔵五日市~大久野 【一般駅→貨物駅】大久野
1982年(昭和57年)11月15日 - 【貨物支線廃止】武蔵五日市~大久野 【駅廃止】(貨)大久野 【貨物営業廃止】立川~武蔵五日市
1987年(昭和62年)3月31日 - 【駅名改称】西秋留→秋川
1987年4月1日 - 【承継】東日本旅客鉄道

駅一覧
拝島駅 - 熊川駅 - (貨)武蔵多摩川駅 - 東秋留駅 - 秋川駅 - 武蔵引田駅 - 武蔵増戸駅 - 武蔵五日市駅


廃止区間
岩井支線:武蔵五日市駅 - 大久野駅 - 武蔵岩井駅

立川~拝島間:立川駅 - 武蔵上ノ原駅 - 郷地駅 - 武蔵福島駅 - 南中神駅 - 宮沢駅 - 大神駅 - 武蔵田中駅 - 南拝島駅 - 拝島駅

拝島多摩川支線:武蔵田中駅 - (貨)拝島多摩川駅


接続路線
拝島駅:青梅線・八高線・西武拝島線

関連記事
日本の鉄道路線一覧、
日本の鉄道
「あきがわ」・「おくたま」
110
 楼主| 发表于 2007-1-11 10:48 | 只看该作者
井笠鉄道 Categories
井笠鉄道


井笠鉄道 Encyclopedia

   


井笠鉄道(いかさてつどう、通称井笠バス、英訳名Ikasa Tetsudo)は、岡山県西部・広島県東部をエリアとするバス会社である。かつては鉄道路線を有していたが、1971年に廃止されたため、路線バス・貸切バスのみの営業となった。本社は岡山県笠岡市笠岡5595番地の1。

岡山ナンバーのバス(一部を除く)では岡山県共通バスカードが使用できる。


目次
1 歴史
2 各営業所(車庫)の所在地
2.1 岡山ナンバー
2.2 福山ナンバー
3 主なターミナル
4 路線
4.1 高速バス
4.2 一般
4.2.1 広域
4.2.2 岡山県
4.2.3 広島県
4.3 臨時
5 社番について
6 関連会社
7 外部リンク




歴史
1911年7月1日 井原笠岡軽便鉄道として設立。
1913年11月17日 笠岡~北川~井原間が開業。軌間762mm。
1915年11月26日 井笠鉄道に社名変更。
1921年10月25日 矢掛線矢掛~北川間が開業。
1922年4月9日 両備軽便鉄道高屋線として高屋(現在の子守唄の里高屋付近)~神辺間が開業。軌間762mm。
1925年2月7日 高屋線井原~高屋間が開業。
1926年6月26日 両備軽便鉄道は両備鉄道に社名変更。
1933年9月1日 両備鉄道の国有化に伴い高屋~神辺間を神高鉄道へ譲渡。
1940年1月1日 神高鉄道を合併し、井原~神辺間が神辺線となる。
1967年3月31日 神辺線・矢掛線を廃止。線路跡は国鉄に買収される。
1971年3月31日 本線を廃止、鉄道から撤退してバス会社となる。北川~井原間の線路跡は国鉄に買収され、現在の井原鉄道井原線の建設に供される。
1994年3月21日 福山~広島間に「ローズライナー」を中国バス・鞆鉄道・広島交通との共同運行で運行開始。(後に中国ジェイアールバスが参入。)
1995年4月26日 中国バス・広島交通が平成大学・府中~御調~広島間に「リードライナー」を運行開始。
1995年12月21日 神辺・平成大学・府中~御調~広島間に「リードライナー」を中国バス・広島交通との共同運行で運行開始。(それまで、中国・広交が運行していた路線に参入、延長。)
1999年1月12日 井原鉄道井原線開業に伴い、中国ジェイアールバスから並行バス路線(井原バスセンター~井原駅~矢掛~清音駅~倉敷駅北口間)を譲受。
2001年9月30日 井原バスセンター~井原駅~矢掛~清音駅~倉敷駅北口~川崎医大前~天満屋バスセンター線のうち、川崎医大前~天満屋バスセンター間を廃止。
2002年5月31日 福山・広島~福岡(博多)間に「広福ライナー」を・中国バス・広交観光・中国ジェイアールバス・ジェイアール九州バスとの共同運行で運行開始。(後に西条へ停車。)

各営業所(車庫)の所在地
岡山ナンバー
笠岡自動車営業所
岡山県笠岡市茂平291番地15
笠岡自動車営業所寄島車庫
岡山県浅口郡寄島町7540番地7
笠岡自動車営業所矢掛車庫(北振バス内)
岡山県小田郡矢掛町東川面950番地8

福山ナンバー
福山自動車営業所
広島県福山市明神町2丁目1番20号

主なターミナル倉敷駅
新倉敷駅
笠岡駅
井原駅
福山駅

路線
高速バス
カブトガニ号
神辺・御野学校前・高屋・井原バスセンター・青木東・小田西・新山(井笠鉄道記念館)・追分・笠岡市役所・振興局前・里庄駅前・鴨方天草~JR難波駅(OCAT)・上本町駅・USJ
単独運行
大阪側の予約・発券業務は近鉄バスが担当。
広福ライナー
福山駅・広尾・千田・福山本郷・西条法務局前・広島バスセンター・不動院前駅・中筋駅~小倉南IC・博多駅交通センター
共同運行:中国バス・広交観光・中国ジェイアールバス・ジェイアール九州バス
ローズライナー
福山駅・入船町・千間土手東・広尾・千田・福山本郷~中筋駅・不動院前駅・広島バスセンター・合同庁舎前(広島行きのみ)・広島駅(広島行きのみ)
共同運行:中国バス・鞆鉄道・広島交通・中国ジェイアールバス
福山行きは全便広島バスセンター始発。
リードライナー
神辺・ビッグローズ・平成大学・駅家町・駅家町西・福戸橋・新市大橋・府中市役所・中国バス府中営業所(目崎車庫)・(三郎の滝入口)~道の駅クロスロードみつぎ~三原久井(山口橋)~高坂PA・中筋駅・不動院前駅・広島バスセンター
共同運行:中国バス・広島交通
高坂PAで広島空港リムジンバスに接続。
三郎の滝入口は夏期(7月20日~8月31日)のみ臨時停車。
三郎の滝入口~道の駅クロスロードみつぎ・三原久井(山口橋)間のみの利用は不可。

一般

広域
大門~宮の前~茂平(もびら)西~茂平(もびら)工業団地
福山駅~入船町~新橋~千間土手東~東福山駅口~伊勢丘団地入口~大門~茂平(もびら)入口~城見台団地口~茂平(もびら)~茂平(もびら)車庫
福山駅~入船町~新橋~千間土手東~東福山駅口~伊勢丘団地入口~大門~茂平(もびら)入口~生江浜西~金崎~笠岡市民病院前~西の浜~笠岡港~三番町~コムプラザ笠岡
福山駅~奈良津~広尾~培遠中学校前~浦上~浦上東~坪生(つぼう)~篠坂~押撫上~陶山局前~有田~銀山~吉浜~土手~西浜~金浦~金崎~笠岡市民病院前~笠岡駅
福山駅~奈良津~広尾~培遠中学校前~春日池ニュータウン~東陽台上~坪生(つぼう)~篠坂
福山駅~奈良津~薮路住宅前(山陽道千田BS最寄り)~千田入口~横尾駅前~神辺駅前~御野学校前~高屋~井原駅~井原バスセンター

岡山県
井原バスセンター~井原駅~七日市~青木東~小田西~小田中~矢掛(やかげ)~矢掛東町~呉妹(くれせ)~備中箭田(びっちゅうやた)~清音駅~古地~備中黒田~酒津口~北浜町~倉敷駅北口~北浜町~浜の茶屋~翠松高校前~百舌鳥ヶ鼻(もずがはな)~松島西ノ口~川崎医大
清音駅~上中島~柿木~ひだまりの家前~きよね夢てらす前~天神~ふるさとふれあい広場前~小屋~峠~清音支所前~清音駅~古地~備中黒田~イオン倉敷~北浜町~浜の茶屋~翠松高校前~大島西~倉敷中央病院~南幸町しげい病院前
右回り(→)・左回り(←)ともに運行。
新倉敷駅~玉島中央町~黒崎~小原~沙美~南浦~不動寺前~寄島車庫
玉島中央町~新倉敷駅~道口~弥高銅山~矢掛東町~矢掛(やかげ)
鴨方駅~(天満屋鴨方店)~鳩ヶ丘団地~西六~寄島車庫
鴨方駅~天草~鴨方本町~長谷上~(天文台)~遥照山荘
鴨方駅~天草~鴨方本町~長谷上~指田~仁故~緑ヶ丘団地~天草~鴨方駅
右回り(→)・左回り(←)ともに運行。
寄島車庫~西六~鴨方駅~(天満屋鴨方店)~天草~北平~四条原~寄島車庫
右回り(→)・左回り(←)ともに運行。
里庄駅~西六~寄島車庫
里庄駅~分庁舎前
笠岡駅~西の浜~笠岡港~三番町~小黒崎~笠岡温泉前~大島小学校前~藤曲り~竹田~土生~十字~乗時(のりとき)~松尾~寄島車庫
笠岡駅~西の浜~笠岡港~三番町~小黒崎~笠岡温泉前~大島小学校前~正頭西~正頭東~乗時(のりとき)~松尾~寄島車庫
笠岡駅~西の浜~笠岡港~市民会館~小黒崎~笠岡温泉前~大島小学校前~藤曲り~竹田~土生~十字~乗時(のりとき)~正頭東~正頭西~大島小学校前~笠岡温泉前~小黒崎~市民会館~笠岡港~西の浜~笠岡駅
笠岡駅~追分~大井ハイランド
笠岡駅~追分~吉田~尾坂上
笠岡駅~追分~吉田~新山(井笠鉄道記念館)~青木東~小田中~矢掛(やかげ)
笠岡駅~追分~吉田~新山(井笠鉄道記念館)~青木東~小田中~小田駅
笠岡駅~追分~山王口~井原駅~井原バスセンター
笠岡駅~追分~七日市~井原駅~井原バスセンター
笠岡発~笠岡市民病院前~金崎~金浦~西浜~入田~広東
笠岡駅~笠岡市民病院前~金崎~生江浜西~城見台団地口~茂平(もびら)~茂平(もびら)車庫
笠岡駅~西の浜~笠岡港~市民会館~瀬戸~(カブトガニ博物館)~中村口~神島外浦
笠岡駅~西の浜~笠岡港~三番町~瀬戸~中村口~内浦見崎
笠岡駅~西の浜~笠岡港~三番町~富岡~今井入口~今井小前~田頭~笠岡駅
右回り(→)・左回り(←)ともに運行。

広島県
福山駅~奈良津~薮路住宅前(山陽道千田BS最寄り)~千田入口~横尾駅前~神辺駅前~中条~三谷
福山駅~奈良津~薮路住宅前(山陽道千田BS最寄り)~千田入口~横尾駅前~森脇(もりわけ)~中国中央病院
中国バスと共同運行。
福山駅~東深津~広尾~福山市民病院
福山駅~奈良津~広尾~福山市民病院~日吉台団地~培遠中学校前~春日池ニュータウン
福山駅~東深津~公園前~東福山駅北口~広大~高屋団地~坪生(つぼう)
福山駅~奈良津~広尾~福山市民病院~神辺駅前~坪生(つぼう)
福山駅~東深津~広尾~福山市民病院~道上(みちのうえ)~東城別~加茂支所~芦原(あしはら)~粟根(あわね)~苅光~広瀬
福山駅~東深津~広尾~福山市民病院~道上(みちのうえ)~東城別~加茂支所~芦原(あしはら)~粟根(あわね)~苅光~山野下市
福山駅~入船町~新橋~千間土手東~広尾~福山市民病院~道上(みちのうえ)~東城別~芦原(あしはら)団地
福山駅~入船町~新橋~千間土手東~広尾~福山市民病院~平成大学
福山駅~入船町~新橋~千間土手東~高屋団地~幕山口~幕山団地
福山駅~入船町~内港バスセンター~千間土手東~高屋団地~幕山口~幕山団地
福山駅~入船町~新橋~千間土手東~高屋団地~幕山口~東陽台上~大谷台小学校
福山駅~入船町~内港バスセンター~千間土手東~高屋団地~幕山口~東陽台上~大谷台小学校
福山駅~入船町~新橋~千間土手東~東福山駅
福山駅~入船町~新橋~千間土手東~東福山駅口~伊勢丘団地入口~大門~北浜~南浜~沖下
福山駅~入船町~内港バスセンター~千間土手東~東福山駅口~伊勢丘団地入口~大門~北浜~南浜~沖下
福山駅→入船町→新橋→千間土手東→東福山駅口→旭ヶ丘団地下→四十分団地→東福山駅口→千間土手東→新橋→入船町→福山駅
中国バスと共同運行。
福山駅→入船町→内港バスセンター→千間土手東→東福山駅口→旭ヶ丘団地下→四十分団地→東福山駅口→千間土手東→新橋→入船町→福山駅
中国バスと共同運行。
(スタブ)


臨時
笠岡駅~岡山県笠岡陸上競技場
JFL(サッカー)の三菱水島FCがホームとなる試合開催日のみ運行。

社番について井笠バス・北振バスの車両には、1台ごとに社番と呼ばれる番号が付与されている。

アルファベット1文字+4桁(北振バスは3桁)の数字で構成される。

アルファベットはメーカーを表す。
F:三菱ふそう車
H:日野車
Z:いすゞ車
数字の上2桁は導入年式の西暦下2桁を表す。
数字の下2桁(北振バスは下1桁)は連番となっている。

関連会社
北振バス
中国バス

外部リンク
井笠鉄道
111
 楼主| 发表于 2007-1-11 10:52 | 只看该作者
京急大師線 Encyclopedia
大師線(だいしせん)は、京急川崎駅と小島新田駅を結ぶ、京浜急行電鉄が運営する鉄道路線である。全線が神奈川県川崎市川崎区に属する


目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧及び停車駅
4.1 廃止・譲渡区間
5 関連項目
6 今後の計画
6.1 新ルート
6.2 駅
6.3 踏切
6.4 その他
7 関連項目
8 外部リンク




路線データ
路線距離:4.5km
軌間:1435mm
駅数:7駅(起終点駅含む)
複線区間:全線(ただし、小島新田駅構内は単線)
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式

運行形態
全列車が線内折り返し運用で、他路線との直通はない。

基本的に700形の運用が中心だが、700形は廃車が進んでおり、2005年からは旧1000形や1500形も運用されるようになった。

大晦日から元日にかけては川崎大師への多くの参拝客に対応する為臨時に列車が増発されるほか、本線からの直通列車も運用される。


歴史
大師線は、京浜急行電鉄のルーツである。川崎大師への参詣路線として建設され、1899年に開業した。人力車組合の反対で遅れていた川崎駅(現在の京急川崎駅)乗り入れも1902年に果たした。なお、大師駅から先、総持寺駅(京急本線の京急鶴見駅~花月園前駅間にあった駅)まで、当初京浜電気鉄道(当時)自ら建設する予定であったが、別会社で建設されることになり、子会社の海岸電気軌道の手で1926年10月16日に大師~総持寺間が全通した。海岸電気軌道は鶴見臨港鉄道(現JR鶴見線)に買収された上に、1937年12月1日に廃止となった。海岸電気軌道線は、大師~産業道路間は現在の路線と同じであるが、産業道路駅からは産業道路に並行して総持寺へ向かっていた。

太平洋戦争中は陸上交通事業調整法により東京急行電鉄の運営となり、工業地帯への通勤輸送を担うため、海岸電気軌道の廃線跡を一部活用して桜本駅まで延伸された。戦後、京浜急行電鉄として独立後の1952年、塩浜駅~桜本駅間を川崎市交通局(当時は交通部)に譲渡し、1964年に国鉄塩浜操駅(現在の川崎貨物駅)建設のため小島新田駅~塩浜駅が廃止され、現在の路線が確定した。

川崎貨物駅から大師駅先にある味の素川崎工場まで大師線の旅客列車終車後に貨物列車が運転されていた。京急は標準軌、貨物は狭軌のため、双方の車両が走れるように下り線だけ3線軌条になっていた。1997年に貨物輸送が廃止されたため、現在は通常の2線軌条となっている

1899年1月21日 大師電気鉄道が六郷橋駅~大師駅(現川崎大師駅)間(2.0km)開業。
1899年4月 京浜電気鉄道に社名変更。
1899年11月29日 全線複線化。
1902年9月1日 川崎駅(現京急川崎駅)~六郷橋駅間開業。
1929年1月 現在の線路に付け替え。
1929年12月10日 味の素前駅開業。
1932年3月21日 コロンビア前駅開業。
1942年5月1日 京浜電気鉄道、東京急行電鉄に合併。
1944年2月1日 コロンビア前駅を港町駅に改称。
1944年6月1日 東京急行電鉄の手により川崎大師駅~産業道路駅間開通。
1944年10月1日 産業道路駅~入江崎駅間開通。
1944年10月20日 味の素前駅を鈴木町駅に改称。
1945年1月7日 入江崎駅~桜本駅間開通。大師線全通。
1948年6月1日 東京急行電鉄から京浜急行電鉄が分離発足。
1949年6月30日 京浜川崎駅(現京急川崎駅)~港町駅間の六郷橋駅廃止。
1951年3月16日 大師線の架線電圧が1500Vに昇圧。京浜急行電鉄全線の電圧が1500Vに統一された。
1952年1月1日 塩浜駅~桜本駅間、川崎市交通局へ譲渡。川崎市電路線の一部となる。
1956年10月11日 列車集中制御装置(CTC)を新設。
1964年3月25日 小島新田駅~塩浜駅間、塩浜操駅(現川崎貨物駅)建設のため休止。小島新田駅は京浜川崎駅寄りに300m移転。
1970年11月12日 大師線と空港線でATS地上装置の使用を開始。京浜急行電鉄全線のATS化が完了。
1970年11月20日 小島新田駅~塩浜駅間、正式に廃止。現在の路線が確定。

駅一覧及び停車駅駅名
営業キロ 京急川崎からの営業キロ 接続路線 所在地
京急川崎駅 - 0.0 京浜急行電鉄:本線
東日本旅客鉄道:東海道線・京浜東北線・南武線(川崎駅) 神奈川県川崎市川崎区
港町駅 1.2 1.2  
鈴木町駅 0.8 2.0  
川崎大師駅 0.5 2.5  
東門前駅 0.7 3.2  
産業道路駅 0.6 3.8  
小島新田駅 0.7 4.5  

京急川崎駅と川崎駅との間の連絡運輸はなし。

廃止・譲渡区間
小島新田駅 - 塩浜駅 - 入江崎駅 - 桜本駅


関連項目
日本の鉄道路線一覧

今後の計画川崎市は、大師線と交差する国道や産業道路などを始めとする道路の同線に対する踏切の解消や道路の混雑緩和を図るため、京浜急行電鉄と協議してきた大師線の新ルート及び地下化計画が2005年春、実現する見通しとなった。同年度中に着工し、2015年完成の予定である。

しかし、京急川崎駅で接続し相互直通運転も予定していた川崎縦貫高速鉄道を当初計画の元住吉経由から武蔵小杉経由にルート変更することが発表され、武蔵小杉~京急川崎間の建設の見通しがつかないことから、京浜急行電鉄は大師線の地下化を中止したい意向も示している。


新ルート
京急川崎駅-川崎大師駅間に相当する。ルートは、京急川崎駅から南東の方角へ向かい、川崎市役所付近の国道132号の真下へ、そこから大師通り(国道409号)の南部一帯の方面へ出向き、そのまま大師通りを平行し、現在の川崎大師駅地点に至る。このため、現行の大師線より0.5km長くなる。



港町駅・産業道路駅を含む、この区間の駅すべてを完全地下化。
京急川崎駅は京急大師線のホームのみ地下化。
小島新田駅はそのままとなる。
京急川崎駅-港町駅間に宮前駅(仮称)を新設する。場所は、国道132号、国道15号との交差点付近となる。
また、港町駅・鈴木町駅については大師通りの南方に移設する。

踏切
全15ヶ所のうち14ヶ所を撤去する。特に、産業道路付近の3ヶ所の踏切を優先的に撤去する予定。

その他
京急川崎駅大師線ホームの地下化により、川崎縦貫高速鉄道との相互直通運転や、羽田に路線を延ばし羽田空港のアクセス路線とする構想もある。

関連項目
日本の鉄道路線一覧
海岸電気軌道

外部リンク
京浜急行:電車情報 路線図
海岸電気軌道
112
 楼主| 发表于 2007-1-11 10:54 | 只看该作者
京福電気鉄道永平寺線 Encyclopedia

   


永平寺線(えいへいじせん)は、かつて福井県坂井郡金津町(現あわら市)の金津駅と吉田郡永平寺町の永平寺駅とを結んでいた京福電気鉄道の鉄道路線である。2002年に全線が廃止された。


福井県の嶺北地方を横切る路線であった。


旧永平寺駅駅舎


旧永平寺駅ホーム跡
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
3.1 1969年廃止区間
3.2 2002年廃止区間
4 接続路線
5 参考文献




路線データ
路線距離(営業キロ):24.6km(金津~東古市間18.4km、東古市~永平寺間6.2km)
軌間:1067mm
駅数:21駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)

歴史
永平寺線は1924年3月に設立された永平寺鉄道の手によって開業した路線である。 1925年9月16日に永平寺口駅(後の東古市駅)~ 永平寺門前駅(後の永平寺駅)間3マイル48チェーン(5.75km)が開業した。その後、1929年8月14日に金津駅(現:芦原温泉駅)~ 新丸岡駅(後の本丸岡駅)間10.00km、同年12月10日に新丸岡駅~永平寺口駅間8.53kmが開業して全通した。1944年12月1日、丸岡鉄道とともに京福電気鉄道に吸収合併され、同社の永平寺線となった。

モータリゼーションと沿線の過疎による乗客の減少により、1969年9月17日限りで金津駅~東古市駅間が廃止された。

2001年6月24日、越前本線での2度目の事故のため、全線で運行が休止された。他の2線はえちぜん鉄道への譲渡が決定したが、永平寺線は譲渡されないこととなり、運転が再開されないまま2002年10月21日を以て廃止された。


駅一覧
1969年廃止区間
金津駅(かなづ、現:芦原温泉駅) - 菅野駅(すがの) - 伊井駅(いい) - 御簾ノ尾駅(みすのお) - 坪江駅(つぼえ) - 瓜生駅(うりう) - 乗兼駅(のりかね) - 長畝駅(のうね) - 丸岡口駅(まるおかぐち) - 本丸岡駅(ほんまるおか) - 西瓜屋駅(にしうりや) - 末政駅(すえまさ) - 油駅(あぶら) - 友末駅(ともすえ) - 楽間駅(らくま) - 鳴鹿駅(なるか) - 東古市駅(ひがしふるいち、現:永平寺口駅)


2002年廃止区間
東古市駅 - 諏訪間駅(すわま) - 京善駅(きょうぜん) - 市野々駅(いちのの) - 永平寺駅(えいへいじ)


接続路線
金津駅:北陸本線・三国線(廃止)
本丸岡駅:京福電気鉄道丸岡線(廃止)
東古市駅:京福電気鉄道越前本線(現:えちぜん鉄道勝山永平寺線)

参考文献
鉄道廃線跡を歩くV(宮脇俊三 編著、JTB、1998年)
私鉄史ハンドブック(和久田康雄 著、電気車研究会、1993年)
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 楼主| 发表于 2007-1-11 10:55 | 只看该作者
京王御陵線 Encyclopedia

   


京王御陵線は、1931年(昭和6年)から1945年(昭和20年)まで営業されていた、東京急行電鉄(現在の京王電鉄)の鉄道路線。

京王電気軌道の手により多摩御陵へのアクセスを目的に敷設されたが、戦局の悪化に伴い不要不急線として1945年1月21日に休止。後に北野駅~山田駅が、京王高尾線の一区間に取り込まれる形で復活した。現在も「休止扱い」である。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
路線距離:6.2km
軌間:1372mm
駅数:5駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)- 営業当時、京王線も直流600V電化。

歴史
1931年3月20日 北野-御陵前間が開業。
1937年5月1日 横山駅を武蔵横山駅に、御陵前駅を多摩御陵前駅に改称。
1945年1月21日 北野-多摩御陵前間休止。
1967年10月1日 高尾線として北野-山田間が復活。片倉駅を京王片倉駅に改称。

駅一覧
北野駅
片倉駅 (現、京王片倉駅)
山田駅
武蔵横山駅 (休止)
多摩御陵前駅 (休止)

接続路線
北野駅:京王線

関連項目
廃線
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 楼主| 发表于 2007-1-11 10:56 | 只看该作者
京阪京津線 Encyclopedia

   


併用軌道区間に入る京阪800系 2005年8月7日撮影(京阪京津線浜大津~上栄町)

浜大津駅付近の併用軌道区間

京津線(けいしんせん)は、京都府京都市山科区の御陵駅から滋賀県大津市の浜大津駅までを結ぶ京阪電気鉄道の路線。全区間が軌道法による軌道である。

かつては京阪本線の三条駅に接続する京津三条駅が起点で、蹴上付近の66.7‰の急勾配を越えて京都・大津間を結んでいたが、1997年に御陵駅以西が廃止され京都市営地下鉄東西線へ乗り入れを開始した。大谷~上栄町間にはまだ日本の私鉄第3位の61‰の勾配区間がある。浜大津駅付近は併用軌道となっており、4両編成もの電車が併用軌道区間を走り地下鉄へ乗り入れるというのは日本全国でここだけである。

なお、石山坂本線とあわせて大津線と総称されている。

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
4.1 廃止区間
5 接続路線
5.1 廃止区間
6 京都市営地下鉄東西線の京阪京津線の代替駅
7 関連項目




路線データ
路線距離(営業キロ):7.5km
軌間:1435mm
駅数:7駅(起終点駅含む)
複線区間:全線
電化区間:全線電化(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式

運行形態
早朝・深夜などに四宮~浜大津間の列車があるが、ほか全ての列車が京都市営地下鉄東西線の京都市役所前駅まで乗り入れる。これにより、以前の起点の京津三条駅(今では地下に三条京阪駅がある)までの沿線をカバーしている。かつては急行や準急の運転や石山坂本線との直通運転もあったが、現在は全て浜大津駅折返しで普通列車のみの運転である。ワンマン運転を行っている。

なお、毎年8月8日の「びわ湖大花火大会」の日のみ浜大津発、御陵行きの臨時列車も運転される。この日は乗降客の安全確保などの理由により京阪線から派遣された車掌が乗務するツーマン運転が行われている。


歴史
1912年8月15日 京津電気軌道が古川町(のちの東山三条)~札ノ辻(のちに廃止)間 を開業。
1923年2月20日 三条大橋(のちの京津三条)~古川町間が開業。
1925年2月1日 京阪電気鉄道に合併。京津線となる。
1925年5月5日 札ノ辻~浜大津間が開業し全通。
1931年2月20日 古川町~蹴上間が経路変更され併用軌道となる。
1934年4月2日 日本初の連接車60形電車を使用し、天満橋~浜大津間に特急「びわこ号」を運転開始(戦時中に消滅)。
1949年8月7日 四宮車庫で火災。車両22両が焼失。
1981年4月12日 浜大津駅が石山坂本線の駅と統合される。三条~石山寺間の急行が廃止され、京津線・石山坂本線の直通列車がなくなる。
現・浜大津駅は旧・江若鉄道(現・江若交通)の浜大津駅
旧・京津線の浜大津駅は現在のオーパの辺り。
1987年5月24日 三条駅地下化により京阪本線と京津線が分断。京津線三条駅は、地下の京阪本線三条駅と区別する為、京津三条駅に改称。
1997年10月12日 京津三条~御陵間3.9kmが廃止され、京都市営地下鉄東西線京都市役所前駅まで乗り入れ開始(同時に御陵駅は、西へ約300m移設され、京都市営地下鉄東西線との共同駅として地下化)。架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
2002年11月30日 全列車ワンマン運転化。

駅一覧
取消し線を引いた駅は営業区間内の廃止駅、または路線廃止前に廃止された駅。名称は廃止時点のもの。

御陵駅 - 京阪山科駅 - 四宮駅 - 追分駅 - 大谷駅 - 上関寺駅 - 上栄町駅 - 札ノ辻駅 - 浜大津駅


廃止区間
京津三条駅 - 東山三条駅 - 平安神宮前駅 - 岡崎道駅 - 蹴上駅 - 九条山駅 - 日ノ岡駅 - 御陵駅

東山三条駅は現在の地下鉄東山駅とほぼ同位置。蹴上駅も同様。
廃止された(地上)日ノ岡駅と(地上)御陵駅のほぼ中間に、現在の(地下)御陵駅がある。

接続路線御陵駅:京都市営地下鉄東西線(二条方面、京都市役所前まで直通運転。六地蔵方面は乗り換え)
京阪山科駅:東海道本線(琵琶湖線)・湖西線・京都市営地下鉄東西線(山科駅)
浜大津駅:京阪石山坂本線

廃止区間
京津三条:京阪本線・鴨東線

京都市営地下鉄東西線の京阪京津線の代替駅京津線  東西線
京津三条駅 →三条京阪駅
東山三条駅 →東山駅
蹴上駅 →蹴上駅
九条山駅 →代替駅を巡って(その他、諸々あるが)、民事訴状にまでに発展したが、原告側敗訴の上、代替駅も設置されず。
日ノ岡駅 →御陵駅
御陵駅 →(地下化)
※京都市営地下鉄東西線・三条京阪~御陵間は京阪京津線の代替区間であり、この区間の鉄道施設は京都市、京阪電気鉄道、地元企業などが出資する第三セクター「京都高速鉄道」が建設・所有し、京都市交通局に貸与して経営を行わせている。


関連項目
日本の鉄道路線一覧
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 楼主| 发表于 2007-1-12 07:53 | 只看该作者
ドリーム開発ドリームランド線 Encyclopedia

   

ドリームランドモノレール軌道
ドリームランド線は、かつて神奈川県鎌倉市の大船駅(ドリームランド線の大船駅は横浜市栄区側)と、横浜市戸塚区のドリームランド駅を結んでいたドリーム開発株式会社のモノレール路線である。1967年に運行が休止され、運行が再開されないまま2003年に正式に廃止された。

一般にはドリームランドモノレール・ドリームモノレールと呼ばれていた。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 廃止後の動き
4 駅一覧
5 接続路線
6 外部リンク




路線データ
路線距離(営業キロ):5.3km
方式:跨座式(東芝式)(運転休止後に浮上式鉄道に変更)
駅数:2駅
複線区間:なし(全線単線)
電化方式:直流1500V
閉塞方式:自動閉塞式(運転休止前は票券閉塞式)

歴史
1964年8月1日、日本ドリーム観光株式会社の手により、横浜市戸塚区俣野町に遊園地「横浜ドリームランド」が開園された。これに伴い、同社の子会社として設立されたドリーム交通株式会社が、その連絡手段として1966年5月2日にモノレール大船線として開業した。

ドリームランド駅から大船駅を結ぶ路線が最初に開業したが、さらにドリームランド駅から長後駅までの路線も開通させる計画が当初にあった。 ドリームランド駅側付近の軌道の一部に、複線用の橋脚が使われていたのはその為である。


ドリームランドモノレール橋脚


ドリームランドモノレール複線用橋脚

しかし、運行から1年後、軌道を支えるコンクリート等に亀裂が発見され、他にも車両重量超過など安全性が問題視されたため、東京運輸支局から運行休止勧告が下され、1967年9月23日限りで運行休止となった(同年9月27日に正式に営業休止)。国鉄(当時)大船駅-ドリームランド間の土地の起伏に合わせて軌道・橋脚を建設した為、最大100パーミルというモノレールとしては最も勾配が激しい路線となった。それに伴い車両の出力を上げざるを得ず、それと共に重量も上がった為、軌道の許容重量を超えていたことが原因であった。 ドリーム交通は、モノレールの設計元である東芝を提訴したが、1981年1月に和解となった。

1982年3月、ドリーム交通は、同路線の経営権や事業免許をダイエーの子会社であるドリーム開発に譲渡し、解散した。さらに1988年、日本ドリーム観光もダイエーの傘下に入った。

ドリーム交通の大船駅(JR大船駅から数100メートル先、柏尾川沿いにあった。)プラットホームは長らく放置されていたが、腐食した鉄骨が崩壊する恐れがあったため1992年2月に撤去されて駐車場となり、軌道・橋脚撤去後の2005年には建売住宅が建設された。同じく放置されていたドリームランド駅は2003年に撤去されている。ドリームランド駅の先にはモノレールの車両基地があり、こちらも休止後は構内に放置された車両とともに廃墟となっていたが、1980年代末に整地され跡地はバス停やコンビニエンスストア(その後閉店)になっている。

その後、いくつか運行再開事業計画が出されては立ち消えとなったが、1995年、運行方式をモノレールから急傾斜に強い浮上式鉄道(HSST)に変更し、路線名もドリームランド線へと改称する最後の再開計画が立案された。この計画は、途中に3駅を設け、通勤路線化も目指したものであり、相鉄いずみ野線延長線上の下飯田付近(現:ゆめが丘駅)への延長計画もあった。しかし、平日は通勤時間帯以外の利用者確保に目処が立たない為、建設コストの大きいHSST方式では設備投資の回収が見込めないことや、車両を浮かす事ほどの大量の磁気を線路が放つ、というHSSTに対するイメージにより沿線住民が電磁波被害を不安視したことなどから、2001年9月には小型モノレール方式への再変更も検討された。

しかし、横浜ドリームランドがダイエーグループの経営再建の一環として2002年2月17日に閉園されると、モノレールの再開計画も不採算必至と判断され、同年8月21日には廃止が発表された。

モノレールの軌道や設備の一部は、運行休止後40年近い間残されたままとなっていたが、事業計画が中止された後に大部分の跡地が横浜市に売却された。なお橋脚などの早期撤去を条件に売却が行われたため、2003年9月1日から一部の施設の撤去が行われ、同年9月18日に免許が廃止された。その後2005年上半期までに殆どの軌道・橋脚が撤去されており、古い地図を見ながらでなければ廃線跡を探しあてることが困難になりつつある。


廃止後の動き旧ドリームランドに隣接して建設された団地は、分譲の際にドリームランド線の再開を前提に募集を掛けていた経緯もあり、住民を中心に未だにモノレール(もしくはそれに準じた交通システム)の再開を望む声が多い。

また、横浜ドリームランド跡地に、学校法人都築第一学園が2006年4月に横浜薬科大学を開校する予定であり、その声は非常に高まっている。

旧ドリームランドへは大船駅・戸塚駅・横浜市営地下鉄立場駅を発着するバスしか交通機関がないが、戸塚駅発着の一部便や立場駅発着便を除いては、県下屈指の渋滞箇所として悪名高い国道1号線・原宿交差点を通らなければならず、横浜薬科大学の開校によって通学する学生の分だけバスの便数が増え、ただでさえ酷い原宿交差点の渋滞をさらに悪化させてしまう、というのが再開希望派の住民の主張である。

しかし、用地の再取得が現実的に不可能な上、現在ではかつての延長計画とほぼ同一のルートで道路(市道環状4号線)の整備工事が進んでいるほか、立場駅などへのバス路線も増やせる見通しが立ち、さらに、交通上最大の障害であった原宿交差点も立体交差化工事が着手されていることなどから、その実現の可能性はきわめて低い。


駅一覧大船駅 - (小雀信号所) - ドリームランド駅


接続路線大船駅:東海道本線・横須賀線・根岸線(営業当時は未開業)・湘南モノレール江の島線(営業当時は未開業)

外部リンクドリーム開発株式会社(Internet Archive)
横浜市 都市整備局 都市交通 ドリームランド線
ダイエー:「モノレール大船・ドリームランド線」のモノレール事業中止に関するお知らせ
ドリームランドモノレールのパンフレット
ドリーム交通モノレール線
夢破れた悲運のモノレール ドリーム交通
過去の栄華 ドリーム交通
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 楼主| 发表于 2007-1-12 07:56 | 只看该作者
京都市電 Encyclopedia

   


京都市電(きょうとしでん)は、京都市交通局が運営していた路面電車である。

目次
1 概要
2 沿革
3 車庫
4 車両
5 現在残っている元在籍車両





概要

1912 広島港 2005年1月撮影
この塗色は京都時代に近い

伊予鉄道モハ2000形電車1895年(明治28年)に民間企業である京都電気鉄道により開業。日本最初の電車となった。

最初の路線は京都市南部の伏見から京都駅前付近までで、その後、京都駅前から鴨川東方の岡崎まで延長された。岡崎で開催予定の内国勧業博覧会への足として大阪から淀川を船で来る客を見込んでのこととされる。

その後、京都市によっても独自に路線建設がされ、競合することになった京都電気鉄道は市に買収された。 その後も路線は延長され最盛期は70km弱の路線となった。乗客も増え1963年(昭和38年)には一日60万人以上の利用があった。

しかしその後の自動車の普及により乗客の減少がつづき経営が困難となり順次廃止されていった。 市による地下鉄建設にそなえ1978年(昭和53年)に全面廃止された。

開業当初の車両は愛知県犬山市の博物館明治村に保存されている。 また1994年京都市の梅小路公園において京都市交通局で保管されていたN27号が開業当初の状態に復元され 京都で動態保存されている。


沿革
1895年2月1日 京都電気鉄道が伏見線を開業。
1912年6月11日 京都市も烏丸線などを開業。
1918年7月1日 京都市が京都電気鉄道を買収。
1978年10月1日 市電全面廃止。

車庫車庫は、広軌線には壬生、烏丸、九条、錦林の4ヶ所に設けられていたほか、狭軌線用の車庫として北野車庫が設けられていた。また、かつては三哲(現在の下京区総合庁舎)に狭軌線の車庫があったほか、梅津に無軌条線(トロリーバス) の車庫が設けられていた。

壬生車庫
烏丸車庫
九条車庫
錦林車庫
北野車庫

車両
狭軌1形
広軌1形
200形
300形
500形
600形
1000形
800形
900形
700形
2000形
2600形
1600形
1800形
1900形

現在残っている元在籍車両
広島電鉄1900形電車
伊予鉄道モハ2000形電車
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 楼主| 发表于 2007-1-17 14:27 | 只看该作者
北大阪急行電鉄南北線 Encyclopedia
   


南北線(なんぼくせん)は、大阪府吹田市の江坂駅から大阪府豊中市の千里中央駅までを結ぶ北大阪急行電鉄の鉄道路線である。

全線が立体交差化されており、千里中央駅付近を除いて新御堂筋の上下車線の間を通っている。 千里ニュータウンと1970年に開催された日本万国博覧会の会場アクセスのために開業した。 本稿では、会場アクセス線として営業していた会場線(東西線、万博線とも呼ばれた)についても述べる。

車両については会社の記事を参照のこと。


目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
4.1 営業中の区間
4.2 廃止区間(会場線)
5 関連項目




路線データ
路線距離(営業キロ):江坂~千里中央間 5.9km
軌間:1435mm
駅数:4駅(起終点駅含む)
複線区間:全線
電化区間:全線電化(直流750V・第三軌条方式)
閉塞方式:自動閉塞式

運行形態
江坂駅から大阪市営地下鉄御堂筋線の中百舌鳥駅まで相互直通運転している。


歴史
千里丘陵で開催された日本万国博覧会の会場アクセスのため1970年に江坂~万国博中央口間が開業。万国博中央口駅は、万博会場であった現在の万博記念公園内、中国吹田IC付近にあった。 また、開業当時の千里中央駅は現在位置ではなく、桃山台駅~現・千里中央駅間で分岐していた会場線上に設けられた仮設駅(現在の千里阪急ホテル前付近にあった)で営業していた。万博終了後、会場線の分岐点~万国博中央口間が廃止され、現在の千里中央駅が正式開業した。会場線の跡地には中国自動車道が通っている。(正確には中国自動車道を暫定的に下り線用の敷地に対面2車線で開通させ、上り線用の敷地を借用していた。また万国博中央口駅は中国吹田ICに挟まれた上下本線道路部分にあった。)

大阪万博の交通も参照。

1970年2月24日 南北線・会場線 江坂~万国博中央口間(9.0km)が開業。
1970年9月14日 会場線 分岐点~万国博中央口間(3.6km)が廃止、南北線 分岐点~千里中央間(0.5km)が開業。
1975年3月30日 緑地公園駅開業。
1986年7月1日 8000形電車運転開始。

駅一覧
営業中の区間
駅番号 駅名 営業キロ 接続路線 所在地
M08 千里中央駅 0.0 大阪高速鉄道:大阪モノレール線 大阪府 豊中市
M09 桃山台駅 2.0   吹田市
M10 緑地公園駅 4.0   豊中市
M11 江坂駅 5.9 大阪市営地下鉄:御堂筋線(直通) 吹田市

(駅番号順に記述。正式には江坂駅が起点)


廃止区間(会場線)
(分岐点) - 千里中央駅 - 万国博中央口駅

路線免許は閉幕日の翌々日を以って失効するとされており、正に万博輸送のためだけに存在した路線であった。
当時の千里中央駅は仮設。分岐点は桃山台~千里中央間にあった。駅番号制は、実施時には既に廃線であったので未実施。

関連項目
日本の鉄道路線一覧
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 楼主| 发表于 2007-1-17 14:28 | 只看该作者
北九州市交通局 Encyclopedia

   


北九州市交通局(きたきゅうしゅうしこうつうきょく)は、福岡県北九州市の自動車運送業務を担う地方公営企業法に基づく地方公営企業である。1929年に若松市交通局として発足し、1963年2月10日に若松市が小倉市・門司市・戸畑市・八幡市と対等合併してできた北九州市に引き継がれた。
目次
1 沿革
2 鉄道事業
2.1 路線データ
3 バス事業
3.1 営業所
3.2 一般路線バス
3.3 貸切バス
4 外部リンク




沿革(スタブ)


鉄道事業1936年に若松市内に貨物専用の軌道を敷設した。電気機関車により国鉄の貨車をけん引し若松駅と港湾部の間で貨物輸送を行ってきたが、道路上を走行するため騒音・振動が激しいことや商店街の中を通過することから沿線住民とのトラブルが絶えず、1975年に廃止された。


路線データ
軌間:1067mm
電化区間:全線(直流600V)

バス事業
営業所
若松営業所-北九州市若松区東小石町3番1号
向田営業所-北九州市八幡西区三ッ頭2丁目25番1号

一般路線バス
折尾駅前および若松渡場を拠点に、主に北九州市若松区・八幡西区および遠賀郡水巻町・芦屋町に路線網を持つ。また若松区から戸畑駅・小倉駅への路線も運行している。車両の色は一般車が白と紺のツートンカラーで、ワンステップバスやノンステップバスは黄緑色である。

北九州市交通局といっても、もとは若松市の事業を引き継いだものであるため、北九州市内の全域をカバーしているわけではなく、上記営業エリア以外の北九州市内のバス事業については西日本鉄道の子会社である西鉄バス北九州が行っている。

運行している地域
北九州市小倉北区・戸畑区・若松区・八幡西区
遠賀郡水巻町・芦屋町

貸切バス
紫色と白のツートンカラーである。


外部リンク
北九州市交通局公式ホームページ
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 楼主| 发表于 2007-1-26 09:04 | 只看该作者
北陸鉄道小松線 Encyclopedia

   


小松線(こまつせん)は、小松駅(石川県小松市)~鵜川遊泉寺駅(石川県小松市)間を結ぶ北陸鉄道の鉄道路線。北陸鉄道の経営合理化のため、昭和61年(1986年)5月31日限りで全線廃線となった。

目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 関連項目




路線データ
路線距離(営業キロ):5.9Km(最盛期)
駅数:8駅(起終点駅含む)
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)

運行形態
歴史1929年5月15日 白峰村(現・白山市)までの鉄道敷設を目的とした白山電気鉄道が小松 - 遊泉寺(後に鵜川遊泉寺)間で開業。
1936年12月14日 若杉駅開業。
1937年11月4日 小松電気鉄道に改称。
1945年7月 戦時統合により北陸鉄道へ譲渡。
1986年6月1日 全線廃止。

駅一覧
小松駅 - 沖駅 - 打越駅 - 若杉駅 - 加賀八幡駅 - 佐々木駅 - 軽海駅 - 鵜川遊泉寺駅


接続路線
小松駅:国鉄北陸本線

関連項目
廃線
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 楼主| 发表于 2007-1-26 09:17 | 只看该作者
北陸鉄道加南線 Encyclopedia

   


加南線(かなんせん)は、石川県にかつてあった北陸鉄道の以下の鉄道路線の総称である。

山中線(大聖寺駅~河南駅~山中駅)
山代線(新動橋駅~宇和野駅~河南駅)
粟津線(新粟津駅~宇和野駅)
片山津線(動橋駅~片山津駅)
加賀温泉郷の山中・山代・粟津・片山津の各温泉街と北陸本線とを結ぶ路線で、それぞれが独立に開業した後、温泉電軌に統合(片山津線は温泉電軌の手により開業)、戦時統合により北陸鉄道の路線となった。

1971年までに全線が廃止された。モータリゼーションの進行もあったが、北陸本線の特急停車駅を大聖寺駅にするか動橋駅にするかで争われた結果、両駅の中間の作見駅が加賀温泉駅に改称した上で特急停車駅にされたことも、加南線の乗客の減少・路線廃止に繋がった。

現在は、各路線を継承する路線バスが運行されているほか、加賀温泉駅まで送迎バスを運行させている旅館も多い。
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